最低でも一石三鳥を狙え

我々が普段から意識しているやり方がある。それは一つの行動で、副次的な効果を狙うということだ。

何をするにしても、ただそれをするのと、一石三鳥以上の効果を狙ってするのでは、全くその効果が違ってくる。どちらが発展するのかは言わなくてもわかるだろう。

例えば、一番わかりやすい例が「投資」だろう。ただ投資するのであれば、投資時点で終わり。あとは成功か失敗かしかない。

その先をイメージして、そこがゴールではなく、経過点として意識できるかどうかが重要だ。

最初は「投資はただの手段だ!」と言っていた人が、いつの間にか「投資で儲けることが目的」になってしまっていることは多々ある。

「儲け」を目的にしてしまうと、投資から得られるモノは必然的に限られてくる。儲けなんていうのは、ただの付加価値でしかない。その本当の価値を意識できているかどうかで、その投資のリターンは劇的に変化する。金銭的にマイナスになったとしても、それ以外の本物の価値を得ているので、絶対に失敗することがないのだ。

儲けが目的になってしまっている人は、それこそ価格の上下に一喜一憂し、すぐに魔界入りする。私から言わせれば、そこで成功しても失敗しても、人間的には常に失敗である。

投資することで特別な情報が入るとか、人間関係が広がるとか、その他にも色々な付加価値を求めていれば、副次的な効果は得られるし、それが本質だ。

これは投資に限った話ではない。あなたが行動することすべてにおいて意識することで、あなたの人生が180度変わる効力を持っている。

自分が今から行動しようとしていることには、一体どんな効果があるだろうか?

一つのことだけを目的にしてはいないだろうか。

最低でも、その行動に対して、3つ以上の付加価値がついてくるように最初は意識してみよう。

段々とこれを極めていくと、一つの行動で無限の価値を生み出せるようになる。意識することが大事だ。イメージするのだ。

「最低でも一石三鳥を狙う。」

日常に生きる人にとって、これを意識し続けることがどんなに難しいことか。これは特別な世界のテクニックだから、日常で実行することは、あなたが思っている以上に不可能なのだ。

それは、あなたの能力的に、できる、できないの問題ではなくて、普通の世界ではそれができないように成っているのだ。

だから、このブログで書いても何の支障もない。普通の世界では「できない」のだから。これを実践したいのであれば、特別な世界に踏み込むしかない。

我々はいつでも受け入れる。

魔界入り

人間ならではの特有の働きの一つに「好奇心」がある。

よく一般的に「好奇心を持て!」と言われるが、好奇心は無理に持つものではなく、自然に在るものだ。

しかも、その言葉はポジティブなイメージを持っているが、実は危険でもあるのだ。パンドラの箱のように、好奇心が身を滅ぼすこともある。

勿論、以前書いたように危険だから面白いのだ。しかし、好奇心の特性を理解していないと、下手したら好奇心は、魔界に突き進むエネルギーになる。

エネルギーがある人は特に、どっぷりとハマりやすい。知的興奮のあまり、専門バカになってしまったり、際限のないループにハマることになる。

他にも、浮気の疑惑や、事件の真相など、知りたい衝動を我慢できずに知らなくてもいいことを知り苦しんだり、知ってしまったがゆえに解決から遠ざかることがある。

好奇心を持った事物に対して、知れども知れども、きりがない。終わりがないのだ。そこだけにどんどんハマり、光を失っていく。

また、ハマればハマるほど、そこに問題解決の光はなくなる。もっと別の場所に答えがあったりする。

行き詰まった時に、全く別のことを考えたり、違うことをするのは理にかなっているのだ。

考え事をしていて、何か苦しくなったら、
「魔界入りしていないか?」と自問自答してみたらよい。そのまま無理に考えても、本当の創造的解決はないだろう。

好奇心はいけないといっているのではないので、悪しからず。足るを知る心がなければ、余計な問題まで背負いこんでしまうのだ。

必要な時に、必要な情報はやってくるものなのだ。

賭けること

どんなに素晴らしい気付きを得ても、清々しく心が解放されても、目に見える環境を変えなければ、また封印される。元に戻る。

今の環境が今の自分を創ってきているからだ。

啓発セミナーで意識が高くやる気になったとしても、結局環境を変えなければ何もできない。

全身マッサージで疲れが取れ爽快になったとしても、結局環境を変えなければ元通り。

大自然を目の前にして自分の小ささを感じ何かを悟ったとしても、結局環境を変えなければ目の前のことしか見えなくなる。

本当に成果を得たいなら、環境を変え、人・物・金・情報を賭けなければならない。

飛躍するには、今の全存在を賭けなくては始まらない。自分が信じる光に賭け、リスクを背負わなければ、人は本気にならない。(逆説的だが、信じるから賭けるというより賭けたから信じざる得ないのだ)

本気にならなければ、結局は既成概念という鎖に縛られ、元の木阿弥である。

あなたはいつ、生きることに対して本気になるのだろうか?
あなたはいつ、自分の人生に対して、真剣になるのだろうか?

「本気になる!」と自分の中だけで決めたのでは何も始まらない。結局本気になれずに終わる。

本気にならなければならない状態に自分をまず追い込むことだ。それにはまず本気になる対象に対して「賭けること」だ。背水の陣がなければ人は本気になれない。

賭けた途端にあなたの世界はとてつもない広がりを見せる。見えなかったものが見えてくる。そして、「なぜ今まであんなものに縛られていたのか!」と不思議に思うくらい心が開放される。

後はやるだけだ!
できるか、できないか、ではない。
やるか、やらないか、だ。
そして、やらない、は無い。

本当は時間などかけなくても、今すぐにでもあなたは開放される。それは瞬間の出来事だ。

映画マトリクスで、モーフィアスはネオにこう言った。
「やろうとするな。出来ると知れ」意訳

持ち場

いつもコメントを頂き感謝する。今は敢えて返信をしないようにしている。その代わり、記事の内容でそれに答えている。よくわからないようであれば、質問していただければ、また違った視点で解説しようと思う。

この世は様々な立場の人がいて成り立っている。菩薩の世界も金儲けの世界も、どちらが偉いなどという比較判断はない。どちらもそれが好きだからその世界にいる。

例えば天国。
そこはお年寄りと子供の世界。幸せそうな笑顔あふれる世界であるが、それしかない世界。刺激がなくてつまらない世界。刺激を求める人は、そこでは充ち足りなくて、自ら刺激がある世界に行く。

例えば地獄。
暗くてジメジメしていて、不潔な世界でも、ゴキブリなどは好んでその世界にいる。何の矛盾も不思議もない。闘争が好きな人は、闘争の世界にいくものなのだ。

それとは別に、行きたくなくても、いかされてしまう部分もある。好きじゃなくてもそこに流されてしまう。流されてしまうものがある。それが悪霊と呼ばれるものだ。無意識に操られてしまう。

今の自分が居る世界は、本当に自分が好きだから居るのか?それとも流されて居る世界なのか?

自分で判断するのは難しい。しかし、その世界に居る人はだれも教えてはくれない。なぜなら、同じ世界に居る人が、「なぜあなたはここに居るの?」と問うことは、自分を否定することと同じだからだ。

だれも自分を否定したくない。だから、その世界で他人を否定しないことによって、自分を守っているのだ。

だから、自分自身で気づくしかない。少しでも、
「自分の今居る場所は、本当に自分の持ち場なのか?」
「本当にこのままでいいのか?」と感じている人は、そこから抜け出すべきだ。

自分でそれができない人のために、我々は「ジョイント」というものを用意している。

あなたの本当の持ち場を探す手助けができる。あなたの魂が本当に求めている声を聞くことができる。

ある大企業の社長がジョイントを受け、
「自分は本当の魂の声を今まで聞いたことがなかった。すべて自分の概念、思い込みだった。ジョイントによって初めて魂の声を素直に聞くことができるようになった。」と、自分のこれからの人生を賭け、世の中を良くするために一緒に活動しよう!となっている。

どんな人でも、そう簡単に魂の声を聞けないものだ。聞けたら究極、あなたの生きている使命、あなたの持ち場がはっきりとわかるのだ。

そこに賭けてしまえば、もう迷いはなくなる。持ち場に気付いてからが本当の勝負だ!感じたのなら飛び込むしかない。

ジョイントとは

以前からこのブログでは、「ジョイント」という言葉を用いているが、わからない人のためにかなり簡略化して説明しようと思う。

「ジョイント」とは何か?以前、「joint」という記事を書いた。

あれから進化し続けている。人は人によってしか磨かれない。ジョイントとは簡単に言うと、潜在意識を意識化することだ。無意識の意識化。霊の認識である。

人は皆、潜在能力を秘めている。その中に、本来の使命・役割が隠されている。

大学やセミナーでいくら知識をため込んでも限界がある。それは人間の表の領域だからだ。人間の裏の領域である、霊魂を把握しない限り限界が来る。その限界は表の概念が作っているのだ。

はっきり言おう。自分自身も知らない自分がだれにもいる。それは自分ではわからない。だから他人が絶対に必要なのだ。

愛のある仲間からのサポート無くして心は開かない。心を開く場として、「クーピー」や「いちゃりばちょうでい」という場を用意している。まずはそこに飛び込んできてはどうだろうか?

その先にジョイントはある。
東京では、毎月第3土曜日。
沖縄では、毎月末の日曜日にどちらも夜19時ごろから「いちゃりばちょうでい」という交流会をしている。場所はもちろんキッカケの店、「Birth」である。

我々の活動やジョイントについて知りたい方は一度来てみてはいかがだろうか?

ジョイントへの入り口、きっかけとして、様々な場所を用意している。しかし、ただ訪れるだけでは、表しか見えない。ジョイントは裏の世界なのだ。

だから、意識の高い人間、本気の人間しか、入り口になり得ないようになっている。

Birth西麻布
http://www.e-birth.jp/
Birth Lilac ~沖縄読谷~
http://birth-okinawa.com/
NPOクーピーファッションアートグループ
http://coupii.org/
猫寺 祐天寺庵
http://nekodera.jp/

危険は魅力

危険なモノは面白いし、興味深い。しかしそれには、責任と能力が伴う。

中途半端に関わると、それこそ「死」に直結する。興味本位で関わると身を滅ぼしかねない危険であればあるほど、環境は飛躍するし、有り得ない成果を手にすることに繋がる。核兵器が良い例だ。

では、普通の人の危険とは何か?生命の危機や経済的な危機を想像する人が大半であろう。

しかし本当に危険なのは、それが危険だとそう思わされている、自らの「既成概念」なのだ。その考えこそが人生を無駄にさせる。

あなたは今、何者かによって創られた世界の中にいる。それはいわゆる「社会」と呼ばれるモノであり、または、「会社」という世界を考えてみても良いだろう。

そこには何者かが作った法律や規則があり、それを守らないものは罰せられる。まるで映画「トゥルーマンショー」の主人公のように、すべて創られた世界で生きている。そのなかで暮らしていれば、安心・安全に生活することができる。

そこから抜け出されることが、環境の支配者にとっては危険なことで、あなたにとって一番身近な生死を賭けた危険なのだ。

その安心・安全の世界に生きるならそれもいい。否定も肯定もしない。しかし、そこには夢も希望もない。いや、正確には夢も希望も持つことはできるが、それを実現することはできない。

夢と希望を本気で実現させたいのであれば、危険に身を投じるしかない。危険は本来魅力的なものだ。そこには、真逆の光がある。

危険であればあるほど、それをチャンスに変えることができたときのリターンは大きい。そして、危険であればあるほど、自分は「生きている!」という実感が持てるのだ。

今の時代、光を掴みたければ、危険に向かえ!

危険と思わされているにすぎないのだから。だが、時代の変わり目に、思考することも行動することもできず、いつまでも既成概念に捉われているあなた自身がいる。

自分が苦しんでいるのを自分自身で気づいていない。これこそが一番の危険だ。

危険は自覚が伴わなければチャンスに変えることはできない。そこには魅力もなにもない。

長生きしたい?一瞬の生もない長生きに満足はない。

経済的に不安?不安を感じるのは余裕がある証拠。必死であれば不安もクソもない。ただやるだけだ。戦後の物不足の中のほうが、人々は生きている実感を得ていたのではないか?

今自分がいる環境の危機を感じ取って、それをチャンスに変えていこう。

今自分がいる環境が安心・安全であるならば、すぐにそこを抜け出して、危険な場所に身を投げ出そう。

そのときにあなたは自分が「生きる」という真理に気が付くはずだ。

心配という名の下における支配

私がよく言う「因縁」の法則がある。特に親子、兄弟、姉妹、夫婦など血縁内での因縁問題は多い。

「因縁だけれども、仲は良いですよ。」という人がいる。しかし、因縁は因縁だ。仲が良いことが逆の作用をもたらすことが多々ある。

その良い例が、「心配している」ことだ。世間一般でいう良い親は、その子に対して、
「あなたの人生が良い方向にいくことを願っている。」
「あなたが安全に生きられるよう願っている。」
と思っている。

これは裏を返すと、
「あなたの人生が心配だ。」
「あなたの安全が心配だ。」
など、必要以上の心配をしているということだ。

「心配している。」という名の下に、その人の人生を縛り付けるのだ。これは一見、相手を心配してのことだから、良いことではないか、と思えるかもしれない。

しかし、良いことと思われることによって、実は相手の人生を雁字搦めにすることができる。

「心配だから、あまり遠くに行かないようにね。」
これは、その人の行動範囲を制限し、世界を狭くする。

「心配だから、安定した弁護士になりなさい。」
これは、その人の職業を規制し、人生の選択を狭める。

「心配だから、守ってあげる。」
これは、その人を自分の範囲から出さないようにし、自分以外の人を信じさせないようにしている。

良かれ、と思って、口にしていたことが、因縁だと実はものすごい縛り付けることになっている。いわゆる概念の押し付けだ。

つまり、その人の魂を、くだらない霊で押さえつけるとも言える。こういったことが積もり積もって、その人は自分の魂の声さえ聞くことができなくなる。

もしあなたが現状に満足していなくて、でも何をしていいのかわからない。自分が生まれてきた意味がわからない、自分の使命がなんなのかわからない、のであれば、まず因縁から植えつけられた概念を疑ってみると良い。

そのときには、必ずと言っていいほど、因縁からの横槍が入る。そして、結局そこから抜け出すことができずに「元の木阿弥」だ。これは因縁の法則である。

それを抜け出す方法は、環境を変える、間に人を挟むなどいくつか方法はあるが、一番確実なのは、沖縄のジョイントだ。それを私は、この身で体感した。

心配という呪縛から抜け出して、さぁ人生を旅立とう!

世の中はカンニングで成り立っている

今の世の中、新しいモノで満ち溢れていると勘違いしている人が多いが、ほとんどのものは実はカンニングによって成り立っている。

事業だって、本だって、ほとんどのものは何かのパクリだ。著作権などの法律によって、そのスレスレのところで世の中は成り立っているのだ。

学校ではカンニングはいけないと教わるが、実社会においては「うまくカニング」できる人が成功している。これが業というものだ。

成功事例を真似るというのはわかりやすいカンニングだろう。成功法則を求めて、多くの人は本やセミナーに投資しているが、これもカンニングして実を取ろうとするからこそだ。

しかし、そこにあまり意味は無い。
表のテーブルと裏のテーブル」でも述べたように、表だけカンニングしても意味がない。カンニングするなら、表と裏の両方をカンニングしなければならない。

では、究極のカンニングとは何であろうか?
それは、霊長類である人間の霊魂を知ることだ。

相手がどんな霊魂かわかってしまえば、その人間の心を掴むことが出来る。云わば、その人間の裏がわかるということだ。

表は日常会うときの建前も含めた人柄、裏はその人の根本にある本音を越えた霊魂。本人すら、自分の裏を知らない人が多い。無意識、潜在意識の領域だからだ。しかし、実は少し本当は気づいているのに、認めないだけの部分もある。

実際のところ、霊魂を知ってもらった方が、その本人も本当は嬉しいのだ。本当は認めたいのだ。私も霊魂を掴まれたからこそ、自分がわかった人間だ。自分の中にある表と裏。自分のなかにある霊魂。

それをカンニングされ、答案用紙に書かれたら、実際にそれが価値を生み出す。今までは採点もされず、価値もなかったものだ。能力も気づいてなければないのと同じだ。

そのカンニングのなかにこそ、無から有を生み出す錬金術が隠されている。

表のテーブルと裏のテーブル

物事には表と裏がある。
そして、裏のテーブルがあるからこそ、表が活きているのだ。
裏がない表は力を持たない。

政治も祭りも事業も、世の中を動かしてきた全てのことは、表と裏で成り立っている。誰もが知ることができる情報は、表に属する情報だ。誰も簡単に知ることができないからこそ、裏の情報なのだ。

沖縄の問題にしても全て裏ありきのものだ。基地問題にしても、沖縄だけなぜ免税店があるのかにしても、カジノ構想にしても、すべて裏のテーブルで創られたストーリーに乗っ取って、表の人間が動いているだけなのだ。

裏が大きければ大きいほど、表もいきてくる。だから、このブログで裏のことを全部書くことはできないが、少しは書いている。もっと興味があれば実際に沖縄にきて我々の活動に参加してみると良い。

まあ、そこでも最初は表のテーブルしか見えないように創っている。裏のテーブルを見たければ、「本気」になることだ。

「本気」で世の中の裏を見たい!と思うのであれば、見れる。しかし、別にいいや、なら絶対に見ることはできない。世に流される表の情報だけを信じて生きればよい。どちらが良いも悪いもない。

太陽があれば月もある。
男がいれば女もいる。

表の契約があれば、裏の密約もある。

原点があって、今がある。しかし、そのことを忘れたとき本来の意味、機能は消失し、ただの形式と化す。

大木もその下に根という裏があるから、上にのびていける。裏の仕組みを創りだし、表を活かすのが特別な仕事だ。世間に流布している情報に真実はない。

だからこそ、事業などで表の表面的戦略だけを真似ても、どうにもならない。本当に動かしているのは、裏のテーブルなのだから。

全てのことに表と裏がある。そして、両方を知らなければ、なにも始まらない。

本当に環境問題とは、危機的問題なのか?
本当に日本の政治は、政治家が動かしているのか?
本当にこれからの世界はG20で動いていくのか?

信じるか信じないかは自由だが、本当にそうなのだから仕方がない。

藤田小女姫

喪が明けたとの信号を頂いたので、「藤田小女姫」について書きたいと思う。

かつて一世を風靡した、いわゆる占い師の藤田小女姫(こととめ)は、占い師の走りである。美少女占い師としてデビューし、政財界の大物を顧客にして大いに頼られた。

彼女が活躍した時期と、日本の高度経済成長期はぴたりと一致する。彼女のエピソードで一番有名なのは、日米安保条約が通るかどうか時の首相、岸信介が藤田小女姫に相談したところ、
「条約は成立するが、あなたの内閣は短命でしょう」と予言したことであろう。事実その通りになった。

また、キッコーマンの名称を社名にするよう提案したり、松下幸之助のいわゆる「山下跳び」といったことも彼女の助言によるという。

何事も表と裏があり、表で出てくる情報は実はたいしたことはない。出てこない裏の情報にこそ価値がある。彼女はフジサンケイグループの鹿内氏の近くに専用の部屋を用意され、その部屋に各界から面談希望が殺到した。

ちなみに、元々産業経済新聞だったものを、サンケイ新聞と縮めて題号を変更したように、略称の名称の走りも彼女だといわれている。

一世風靡した藤田小女姫だったが、メジャー路線に行き過ぎては困ると、彼女が経営しているとされたサウナで事件が起こり、表舞台からは封印されていった。これも意図的である。

そんな彼女を仕掛けた人間がいる。その人は、小佐野賢治である。彼と通じていた、田中角栄も小女姫を活用していたが、その情報が表に出ることはない。本当に活用していた人ほどでてこないものなのだ。あまり情報の出ることがない小佐野の名前がでているのはどういうことか?その場合はわざと出しているのだ。

彼女のような存在は、鶴の一声としての効果もあり、権力者からすると利用価値があるのだ。裏の存在として、古代より霊能者の存在は欠かせない。今も政治家や経済界の方々から沖縄のユタの紹介依頼が尽きないのには理由があるのだ。

先日、外務省の方にも小女姫案件があったとお聞きした。彼女は実は沖縄にも関係しているのだ。それについてはまた書く。