時代の創造は批判から始まる(2009年総括)

いよいよ今年も終わりだ。激動の1年だった。個人的にも大きな変化が多々あった。今年1年を振り返って、戦いの連続の日々だったなと改めて思う。

周囲の人からは、変わったとか、おかしい、変人扱いされながらも、敢えて波風を立てて戦ってきた。今までおかしいなと思いながらも、「自己責任だから仕方ないか・・・」とか、「人それぞれだよな・・・」とか、諦めの境地で達観していた自分からここ数年で劇的な転換をし、とにかく公私問わず戦ってきた。

普通に周りに合わせるのはたやすい。流されてしまうのも簡単だ。でも、魂が満足しない。

戦って、その時は嫌な思いをしようと、後で自分にやり残し感、後悔が残らない。魂は戦ったほうが満足する。自分はこう感じているんだ!と利害を超えて向かう。世の中、損得や見栄の張り合いばかりだ。くだらない。

また、今まで細かいのはいいやとお金の価値を軽く見てきたことも改まった。人によっては、私が守銭奴に見えたかもしれないが、金の為ではなく、大義のために敢えてこだわることにした。

独善にみられることもあるだろう。しかし、「それがどうした!」である。

金儲け主義なんてつまらん。
確かに時々昔していたバブリーな生活が懐かしくなる時もある。でも、結局金儲けの為に一生懸命になれない自分を知っているし、そのむなしさもわかるから懐かしくなるのはエネルギーが余っているからだと理解する。

100億儲かるより、一人の人間から「救われた!よかった!」と言われることのほうが100倍嬉しい。でも、お金を稼ぐことを捨てたわけではない。実際、動かす金額は3年前より格段に増えている。

今までとは違うやり方が見えてきたのだ。新しい経済のあり方もイメージ出来てきた。来年はそれを形にして、見せて行こうと思う。

あいつはバカだと思われてきたのも励みになった。「見返してやる!」と一生懸命になれた。クールなニヒルでいる自分より、今現在の熱く魂が燃え戦っている自分が好きだ。

特に家族には辛い思いをさせてしまったが、そのおかげで絆もできた。非難されたり、意識の違い、価値観の違いという問題があることで、表面的な付き合いでは済ますことができなくなり、真剣に向き合うこととなった。

勿論これは継続していくことだ。一度やったからおしまいということはない。常に日々戦いなのだ。

来年は、更に多くの変化が起きるだろう。予想もつかない出来事が起こり、否が応でも価値観の転換を環境が迫ってくるだろう。混沌の時代こそチャンスだ。時代を先取りすると必ず批判が生まれる。時代を創る人間は、最初は変人扱いされ、落胆され、批判される、ということは歴史的に証明されている。その信号がかなり降りてきているので、逆に「これで良いのだ!」と確信が持てる。

いよいよ本当の意味で21世紀の始まりだ。しかも私は年男!
寅年だけに攻め続けるぞ!

もう時代は変化し始めている。
それに気付き、動き始める人も多くなってきた。
みんなも良い年を迎え、勇気を持って行動に移していくことを心から願っている。
「今の自分」なんかクソ喰らえ!だ!
年末が良い機会だ!今日死んで、明日生まれ変わろう!
そして、本当の意味での「選択」をしよう。

タイガーウッズの女性エージェント

少し前、タイガーウッズが話題になった。彼は仕事においてゴルフのスイングをチェックしてくれるプロを雇っている。その他にもエージェントがいて、彼をサポートしていた。その中に女性の手配をするエージェントがいたと言われている。そうでなければ、彼ほどのスターが、気軽にナンパで出会えるだろうか?売名行為の者もいるだろうが、プロの者もいる。

これまでなぜ浮気が明らかにならなかったのか?プロのエージェントがいたからである。しかしながら、因縁の妻とのことがきっかけで事故を起こし、連鎖的に情報が漏れだしブランドが崩壊していった。

本当は、人生のチェックをしてくれる人も必要だったのだ。自分のことは自分ではわからないから、他者の鏡が必要だし、鏡に映った姿を解釈してくれる牧師やお坊さんのような方が存在してきた。今は堕落した方のほうが多いからだれにも相談しない人が増えている。だからこそジョイントという受け皿を用意しているのだ。

また、タイガーのように卓越した業績を残す人物は、間違いなく時代魂である。時代魂は、凄まじいエネルギーがある。だからこそ、非凡なことが成し遂げられる。そのような魂の持ち主を普通の人と同じだと思ってはいけない。

普通じゃないからこそ、普通じゃない結果を出せるのだ。

男性は生命エネルギーを、金・女か博打・名誉といった方向に向けやすい。女性の場合は、買い物・美容・結婚・子供という方向が一般的だ。

英雄色を好むという格言もあるが、とかく昔から語られている真理なのだ。

しかし、それは有り余るエネルギーの使い方がわからないから、向けやすい方向に向けているだけである。エネルギーをどこに割り振るかを意識的にしていくことで、物質的なものを得るエネルギーに使うか、性エネルギーに使うか、精神的な成長に向けるかなど選択できる。

タイガーの場合は、金と名誉が満たされたので、女性に向かったのだろう。もし私が彼のアドバイザーであったなら、「社会的な活動を行い既存体制と戦いなさい」と述べただろう。

男性の場合は、おもに闘争の方向へ向けるとエネルギーは消費されやすい。タイガーであれば、人種差別問題と戦うべきだっただろう。そうすればとても女性に向けるエネルギーはなく、闘争でエネルギーは消費されていただろう。

またもし、女性に向かいたくなったとしたら、手頃な売春なのではなく、口説くのが難しい相手にすべきなのだ。簡単な人に向かうことなく、常に上に向かい続けることで人は成長する。パートナーにもきちんと向かい納得させなくてはならない。

掴んだ栄誉を捨てて、戦った時、その時は非難もすごいだろうが、のちに英雄となるのだ。
使命に向かわない時、結局掴んだものは失う。タイガーの場合、今回の事件で、浮気相手が白人ばかりと逆にまた差別問題となってもいる。影響力がある人は、作用と反作用の結果がすごい。

彼は、女性と浮気しても満足しなかっただろう。だから次々と相手を変えたわけだが、そこに答えはなかったのだ。社会との闘争こそが、時代魂の役目なのだから。

変に女性に因縁付けした結果、因縁によって苦しめられることになった。これもまた因縁問題だ。

話は変わるが、三つ子の魂百までというように、幼いころの経験が後々まで影響する。タイガーは生後9カ月でゴルフを始めたという。楽器もそうだが、早くから触れさせなくては、決定的な違いがうまれる。勝負時とか土壇場で結果を残せるのは、そういう体験をしてるかにかかっている。

霊的に言うと、3歳まではまだ霊は確定していない。なので、3歳までにいろんな体験や人物と合わせて多くの霊に触れさせることが大事だ。すると、自分に合うところに霊は収まる。

のちにどんなに英才教育しようと、霊格が備わらなければ、卓越した結果は難しいのだ。ちなみにタイガーの父親は、米軍特殊部隊グリーンベレーの将校クラスである。沖縄の我々の拠点「Birth Lilac」の常連にもこのグリーンベレーの方がよく来るが、数ヶ国語は当たり前、軍隊の中でもかなりの精鋭であり、エリートである。

そして、こういった霊と才能の関係は当たり前のこととして、理論化されているとも聞いた。タイガーはこういった環境で英才教育を受けたのだ。

しかしながら、タイガーの例が示すように、才能があろうと幸福になるかどうかは別問題というのが人生の面白いところだ。

ベトナム(日本の救世主たる国家)

つい先日、私はベトナムに行ってきた。すでにベトナムに行くのは5、6回目くらいになるであろうか。久しぶりの訪越である。私が計画している沖縄プロジェクトは、もちろん沖縄からの繋がりで、沖縄のみにあらず、世界中に広がっている。

ベトナムには我々の仲間がすでに10年以上前から住んでおり、時代を動かすためにVIETNAM~日本、沖縄~世界展開をイメージした布石的活動を行っている。

3年ほど前であろうか、ベトナム株が日本で流行った時期があった。あれはまだ時代が動くには時期尚早であった。日本からの行き場のない資金が、世界の発展途上国に流れ、バブルが弾けそして失われた。

完全な世界規模の仕手である。これによってかなりの資金を失った個人投資家は多いのではないだろうか。先月のドバイも同じである。グローバルマネーゲームによるワンパターンの構図だ。

それはともかく、ここ数ヶ月の間にジョイントにより修業した、熱くエネルギーが溢れる世界が欲っする若者を、数人ベトナムに送り込んだ。何故ならベトナムの熱く燃える時代は、そろそろ本格的に動きだす。ここ1、2年で激変するはずだ。

今回そのベトナムで、時代を動かすための布石を打ってきた。その話を少しだけしてみよう。

ベトナム、ホーチミンに到着し、空港から外に出た時の暑さが沖縄の盛夏を思いだす。快晴の夏というよりも、どんよりと湿った空気の暑さ。ベトナムは今乾季であるにも関わらずこの蒸し暑さ。「ベトナムに来た」という実感よりも、「沖縄の夏に戻った」という感覚だ。

空港にベトナム政府共産党の方が迎えにきてくれていた。空港からリムジンに乗り、道を走り始めると、懐かしいバイクの多さに、やっとベトナムに来たことを実感させられた。ベトナムでは本当に一人につき一台のような感じなのだ。(数字上でも、人口9000万人弱にバイク7000万台くらいあるそうだ)

広々とした公園で休んでいる人たち、バイクに乗ってどこかへ向かう人たち。東京だったら平日の昼間にこんなに多くの人が出歩いていることはない。この人たちは一体何をしているのだろうか?どの人も目が輝いている。エネルギーを感じる。

ホテルに到着すると、笑顔のベルボーイが出迎え、荷物を運んでくれる。ドアには二人もドアマンが立ち、お客様の出迎えを丁寧にしている。その洗練されたサービスは沖縄にある、いや世界のリゾートホテル以上の丁寧さだ。コネがものをいう社会なので、人によっては対応が違うかもしれない。

街中には古びた建物や、スラムを思わせる汚い場所がごろごろしている。そんな中に、たくさんの綺麗なホテルが立ち並んでいる。沖縄以上のチャンプルー(混ぜこぜ)だ。

ホーチミンはベトナムの中でも大都市だが、街中がチャンプルーされている。これがまたベトナムらしいと言えるだろう。ホーチミン1区は中心区域だが、都市開発というにはほど遠いバラバラな開発である。この反省からいま新たな都市計画が進んでおり、中心地は1区からやがて移動する。

ベトナムは政治的には、共産党の一党独裁政治により、その権力が保たれている。少しでも政府を批判しようものなら、掴まって刑務所に入れられるほどだ。だからこそ、沖縄での日本的利権構造よりも、さらに強固な利権が存在する。

いつも利権というものは良い悪いは別にして、一つの大きなチャンスでもある。利権とは利益に関する権利だが、特別な利益ほど本来は大義が必要とされる。特別な利益を得たものは、それを大義に使うことが求められるが、大義を失った者は、個人的な利益追求をするからおかしなことになってくる。

ホテル到着後、政府の人間たちとサイゴン川のディナークルーズにて会食が行われた。

ベトナムは世界中でアメリカに戦争で勝った唯一の国であることは、ほとんどの人が知っているだろう。(詳しく言うと、ベトナム戦争は代理戦争であったわけだが、細かい話は止めよう。)

米軍はベトナム戦争時に、沖縄の嘉手納基地から爆撃機を飛ばしていたのだ。多数の爆弾を備えて・・・。それを沖縄の人たちは、阻止しようとした。米国統治下の沖縄でベトナム戦争を批判する暴動を起こした。ベトナムと沖縄は、琉球王朝時代からのつながりがあったことも関係している。

それをベトナムの人たちは知っており、沖縄の先人たちに感謝しているのだ。実際に戦争証跡博物館の中に、日本語で書かれた戦争反対のポスターが展示されている。ちなみに著名な戦場カメラマンである、石川文洋さんも沖縄出身の方である。

ベトナムはこれから急成長し、劇的に発展していくことは間違いない。しかし、道を間違えると、日本のようになってしまう。日本は戦後、アメリカの資本主義に洗脳され、心と魂を失いかけている。そして、日本人の精神崩壊による影響で社会秩序が乱れ、それが経済にまで悪影響を与えるようになってきた。このままでは、日本が潰れるのも時間の問題である。

ベトナム人はかつての日本人と似ている部分がある。真面目で器用だ。そして志がある人が多い。また大農業国でもある。日本が体験してきた経験をベトナムは必要としている。ベトナムこそが日本にとっての、救世主となるだろう。そんな話を政府関係者とした。

社会起業家論

最近「社会起業家」について論争があった。発端は著名な経営者が「社会起業家は逃げているだけ」という意見を発したことにはじまるようだ。昔は私も社会起業家というレッテルは何か違和感があった。企業は存在するだけで社会的意味があると思っていたからだ。

3年ほど前、ETICが主催した社会起業家がテーマのイベントに呼ばれたことがあり、一応私も沖縄のことをしていたので社会起業家として捉えられていた。その時社会起業家の若者らとお会いした。あれから彼らは今もコツコツと頑張り続けてやっと陽の目を見たのだ。

一言で言うと、今の若者が社会的なことに興味を持つのは、そういう時代だからだ!

Business1.0の時代は、カーネギーやビルゲイツのように、事業で大成功した人がリタイア後に社会貢献する時代だった。

Business2.0の時代は、金融会社やコンサル会社である程度成功したサラリーマンがそのスキルとわずかな資金を使って、社会貢献ビジネスをする時代。

Business3.0の時代は、卒業後すぐに社会貢献ビジネスを志向する時代なのだ。
金が貯まるまで待っていられない。地球規模でのあらゆる危機が迫っていると、感じている人達がたくさんいるなか、すぐに直接的に社会貢献したいのだという想いがあるのだ。実際、大学で講演した後、相談しにくる若者はアジアの為にとか、社会の為にという想いが強い。

今の若者のほうが立派ではないか。
我々の時代は、まだ自分が豊かになることを志向していた。
時代を作るのは、いつも若者なのだ。

プロ野球キャンプの恩恵

2011年春から巨人が沖縄でキャンプをする。これですべての球団が沖縄でキャンプをすることになる。巨人は長く宮崎でキャンプを行ってきた。それが全部ではないにしろ沖縄に移ってくることの意味は大きい。

普通であれば、使い慣れた場所で、気心知れた場所から移りたくないものだ。いま那覇の近くに新型半ドームを作っていて、そちらに移ってくるのだ。どれほどの恩恵が約束されたのか想像に難くない。

宮崎にしてみたら、なんで沖縄ばっかりと嘆きたいであろう。どんなに努力しても、いろんな応援が沖縄にはあり、特に政治的な力が働くので、それをわかっているからこそ、東国原知事や橋下知事は、中央政界に色目を使うのだ。

話は変わって、球団を誘致するというハードの話は官僚チームにお任せするとして、我々も密かに沖縄とのご縁を持つ人を増やすべく活動してきた。最初は、私の周囲の経営者から始まり、サラリーマン、学生、アーティスト、俳優女優、そしてスポーツ選手と幅広い分野の人々とジョイントをしてきた。

沖縄でキャンプすることもあって、スポーツ選手の中で野球関係者は特に自主トレも沖縄で行う方も多い。いま密かに沖縄での修業が流行ってきている。誰とは言わないが、沖縄で修業してくると話している人は多い。

沖縄で人生を変える体験をした人は、一生この地を忘れられないだろう。これはソフトな沖縄誘致の究極である。

沖縄カジノ構想も急浮上してきた。前からあるプランだが、今後、実力政治家の登場により、まんざらでなく一気に進む可能性がある。この辺が時代の指名場所、沖縄の面白いところだ。

ますます、これから沖縄から目が離せない。

猫寺-祐天寺庵

猫寺を開けてから1年以上経過した。この間にどんどん猫の時代がやってきた。そもそも、私は猫アレルギーだったのだが、猫寺を始めてから猫アレルギーが治ってしまった。

しかし、猫アレルギーだった私がなぜ猫寺をやったか?それは時代だからである。これからは、猫に象徴される時代となっていくのだ。

猫は古来エジプトの時代より神聖視されてきた。人間に一番近い霊的動物として、人間のそばに存在していた。映画「コンスタンティン」でも、猫の目から霊界に入っていく。

ちなみに沖縄に猫の文化というものがあり、そこでもやはり猫が象徴するものは霊なのだ。

大体、猫はよく何もいない空間を見つめていることがある。霊が見えるのだろう。何を見てるのかなと不審に思った飼い主は多いに違いない。

また、よく猫と女性は似ているいう言い方もする。自由気ままで、媚びない様子のほかに、霊感が鋭いという意味もある。

これからは、「霊と女性の時代」なのである。もう時代は、予想を越えたスピードでまっしぐらに進んでいる。

以前に、20世紀は攻めの時代、21世紀は守りの時代といったが、守るのは女性が得意分野であるのは疑いもない。

こうしたテーマのほかに、猫寺では修行も行っている。沖縄で修業した方が、更に深めるために修行しているのだ。仏像を彫ったり、絵を描いたり、写経をしたりと幅広い。ちなみに、猫寺での仏像作りの修業を入れたあたりから仏像ブームがやって来た。それまでは仏像描く人がいた程度だった。ほとんどの人が猫寺で仏像彫りは初めてだった。

猫寺ではアート的な修業が中心だが、こうして真剣で神聖な空気を維持するようにしているからこそ、ここでは普段と違う深い話をすることができる。

私は、深く内面の話や時代の話をしたいときは、ここで会うようにしている。ここでなら、お互いに心の壁が取り払われ、余計な説明が少なくて済むのだ。

多くの著名人が猫寺を訪れている。それもあって、猫寺は完全予約制として運営しているのだ。完璧にプライバシーは守られる。ここは現代の志士が集まる、池田屋・寺田屋のようなものなのだ。ビットバレーの時の同様に、やはり自分自身は魂が来るべき時代を受け取り、未来に橋を架け続けたいと思う。

沖縄のホテルで食事も兼ねて打ち合わせをしていた時のことである。元大臣が後からやってきて、近くのテーブル席に座った。最初はこちらに気がついていなかったが、気付いた途端に気まずそうな顔となり、席を移動していった。

気を使ってくれたのだろうが、ちょっと寂しくなる。逆に親しげに来られて辟易する人もいるが・・。

仕事柄、人には多く会うが、中には、輩(やから)も多くいる。

「輩」とは、人を利用することで自分の価値を高める人間のことだ。例えば、誰それを知っているとか、仲が良いとか、こんな情報があるよ、と話す感じだ。

一回会って写真を撮っただけで、「自分はこの人と特別な仲だ。」と言って他人から見た自分の価値を上げる手法をよく使う。大衆も行為は似ているが輩は確実に利益を狙う。

別にこれが悪いといっているわけではないが、「諸刃の剣」となることが多い。

これはいわばゴシップ記事を話しているだけのようなものだ。最初は相手も面白いかも知れないが、最後はそれでどうしたの?となるのが関の山だ。

輩はそういった手法で金を稼ごうとするが、結局大した額は稼げない。もっと稼ぎたいなら、小さく利用しないで大きく利用すべきだ。

ゴシップ話をしているだけでも、快感現象で面白いかも知れないが、その人の価値は上がらない。

間に入って自分の存在を高めるよりも、直接つないだほうが、皆でHappyになる。

だが、繋いだら自分の存在価値がなくなるのではないかという、深層意識の不安から無意識に人を繋げることを避ける。

今のご時世、恩を忘れる人が多い世の中だから無理もないと思うかもしれないが、本人はそれを意識しているわけではない。輩は、無意識に金の匂いに敏感なのだ。

金しか信じていないから、人も自分も信じられないのだ。しかし本来、輩だからこそ、時代の変化に敏感に気づくことも多い。

誰よりも先に、美味しそうな匂いがするところに集まれば、それだけ美味しい思いができることを知っているのだ。

しかし、輩には限界がある。結局それで運よく成功しても知れている。金額的には5億くらいが関の山であろう(私の知る何人かの方々参考)。しかも、金しか信じていないから金を失うことを極端に恐れる。

だから、いくら稼いだとしても満足できない。
そして、いつの間にか結局金を失う。

どうしたら自分が満足するのか?と根源的な問いを考えるよりも、金を無くさないで増やすにはどうしたらよいか?ばかり考えるようになる。いつも不安なので、何かしらの取引をして、魂を売り渡し魔界に落ちていく・・・。

本物の成功者(菩薩の道を極めた者)は、愛で世界を創る。その世界に生きる人間は愛に包まれているので、自分の特性を活かした能力をフルに発揮することができる。そうすることによって、一般的に言われる経済循環なるものが活性化する。

別にそれを狙っていなくても自然とお金が集まるようになる。
特別な世界には何の矛盾もない。

一例を挙げるとすれば、輩は「人を利用して自分の価値を高める」が、菩薩の道では「自分を利用して人の価値を高める」のだ。人を信じなければそれはできない。また裏切られる痛みにも耐えなければならない。だから、いつも心が痛い。

しかし、それで人が喜んでくれるのなら、この心の痛みも耐えられる。そして、何よりそれを理解してくれるたくさんの仲間達がいるから突き進んでいける。
輩は一人だ。
しかし、菩薩にはいつも多くの仲間達が存在する。

とても単純でわかりやすい。

良い悪いではなく、時代に先駆ける人は、どちらにせよ山師的要素を併せ持つものだ。
だとしたら、それを活かして自分を輝かせてほしい。

沖縄独立

先日、霞ヶ関でとある高級官僚の方とお話をする機会がありました。もちろん、沖縄に関連している方ですが、その方が以下のようなことを熱くおっしゃっていました。

「今話題になっている米軍基地問題における日米関係問題なんていうものは、日本国のこれからの難題のほんの一部分に過ぎず、これからは政治・経済が激変する歴史的な始まりだ!その表に出ている問題だけではなく、裏もよまなければならない!日本の全ての問題は、沖縄の問題で縮図化され(表舞台)キッカケになっていく。」と。

私も同意見でしたので、その方とはかなり時間をオーバーして、熱く深い話をしてしまいました。

そんな中でひときわ興味深い話が、「沖縄独立」の話でした。民主党は結党以来、沖縄政策に力を入れて取り組んでいます。そして、民主党が掲げる「沖縄ビジョン」のもとに、今後の日本を左右するビジョンが含まれています。

その中では、沖縄の自立を「地域主権のパイロット・ケース」と位置付けています。つまり、地方主権や外交のモデルケースを沖縄に創ろう、ということですね。

今までは、中央官僚に依存する制度になっているため、その政権下での地方主権は不可能に近いものでした。また地方としても人材難など受け皿の問題もありました。しかし、これからは上からの地方主権でなく、下から民間人が権力を奪うくらいのソフト革命を起こすような展開になるでしょう。

といっても、前時代的なイメージがするような「流血革命」ではなく、今の時代に合致したソフト革命を起こせる人材が求められています。

そのために我々は「ジョイント」という、本土と沖縄を繋ぐ潜在能力開発プログラムを推進しています。よく誤解を受けますが、これは単なる啓発プログラムではまったくありません。ここで、既成概念の枠組みから自由になり、本来の使命に目覚めた人たちが、ソフト革命を起こすことができるのだと断言します。

「本当に時代の風を感じ、沖縄のことを想い、日本や世界のことを想う人たちが世の中で必要とされる時代だ!」今私の周りには、その「想い」を持った半端ではない仲間たちの繋がりが、自然にどんどん集まっています。ビットバレーの始まりの時の百倍のパワーを実感しています。

私はこの動きが、日本が求めていたものになることを確信しています。

このブログを読んでいる人すべてにチャンスがあります。熱いエネルギーをぶつけて下さい!本気で求めるなら、チャンスはいくらでもあります。求めなければ何のチャンスも訪れません。菩薩の世界は、真に何一つ矛盾のない世界です。

沖縄米軍基地問題の表と裏

先日まで私は沖縄にいたのですが、いま世間で最も話題となっている普天間基地問題について、その渦中にいる、ある人物とお話をする機会をいただきました。

世に出ている様々なニュースでは、辺野古への移設、県外移設、嘉手納統合、などの案があります。今一番の有力候補として、「普天間基地を移設しない」という選択肢が出てきているそうです。次に嘉手納統合か県外の飛行場(関空や各地の採算割れの活性化策)案です。

普天間基地という場所は、住宅街に囲まれており、飛行機やヘリコプターが離発着するにはとても危険な場所です。ですから普段は離発着させずに有事の際にだけ使えれば良いのではないか?という考えが移設しない案です。

米国側も普天間基地の危険性は認識しており、むしろかなり昔から閉鎖、返還を考えていました。(逆にそれでは困る日本側が留めさせていた可能性のほうが高いですね。)

というのも、やはり普天間基地返還後はその土地はどうなるのか?という日本側(沖縄県や宜野湾市)のビジョンの欠落や、安保の問題があるようです。また、軍用地主にとって、基地が返還されてしまったら、土地代が入らなくなる。正確に言えば、返還後3年間は補償されますが、そこから約十年の開発期間がかかる。最初の3年間でその土地が優良なものになるビジョンはまずあり得ません(那覇新都心、小禄とは立地、時代も違う)。

軍用地は今のところ沖縄(以外の方にとっても)の投資物件としてこれほど安定したものはありません。

要はこういった理由(本音と建前)で、基地の移設を反対する方々もいるわけですから、みんなの意見を聞いていたら問題が解決するわけがないのです。この米軍基地問題に関しては、自分の損得だけを考えて、賛成・反対を言う関係者がほとんどでしょう。

沖縄県民130万の人口の内、約27000人が軍用地主です。しかもその数パーセントの地主が90パーセント以上の土地を所有しています。(世界経済と似ていますね)また軍用地投資は、県外投資家の美味しいマーケットです。ちなみに普通の那覇の市民で私の知っている軍用地主の方はほとんどいません(恩恵なし)。

逆に郊外の豪邸や毎日パチンコ、スロットされている方々のほとんどは軍用地主の方々かな??とも‥

さて、話が逸れましたが、では、普天間基地をそのまま残すとして、そこで普段訓練していた海兵隊はどうなるのでしょうか?ちなみに軍事基地は有事を基本に全て作られ、訓練をしています。何十年何百年に一度の戦ありきです。万に一つの可能性の為に日々訓練や投資が行われています。継続が欠けると投資効果が悪くなります。どこかで訓練はしなくてはいけません。

ということで、嘉手納統合という案があります。嘉手納町の83%が基地ですから、かなり広大な土地を占領しています。そこに海兵隊も移動してもらおう、と。しかし、これに対して米国政府は拒んでいます。政府というか、軍が拒んでいるわけです。

その理由として、表向きは「米国空軍と海兵隊の、飛行技術レベルの違いによる危険性」と言っているようですが、本当の理由は空軍側からの「なぜ俺たちエリート空軍が、海兵隊の猿と一緒にならなきゃいけねーんだよ!」という、階級意識、感情問題なわけです。

まあ、このことは日本側もそうなることは予想できていたわけで、ではなぜこの嘉手納統合案を表に出したか?ということに尽きるわけです。嘉手納統合と聞いて、なにか違和感を感じる人もいるのではないでしょうか。私はこう思いました。

「基地って沖縄の土地を最大限有効活用してるんじゃないの?そんなに余ってる土地があるの?」と。

要は、嘉手納統合案を表に出したのは、裏の意味として、「嘉手納基地って普天間基地がそのまま移設できるくらい広大な遊休の土地が眠ってるんだよ。これってどうなの?」というメッセージを伝えたかっただけなのではないか。(後に民意を操作するための布石ってやつです。)

宜野湾市を拠点にされている政治家さんの話では、「海兵隊のグアム移転が司令部中心というのは間違い。沖縄海兵隊の主要な部隊が一体的にグアムへ移転する。普天間飛行場の海兵隊ヘリ部隊も含まれる。」と言っていました。

あれ?じゃあなぜ辺野古案があったの?という疑問が湧いてきますね。米軍は出たがってるじゃん、と。

普天間基地問題は、日本の安全保障の問題というより、完全に国内問題で、要は経済の問題ということです。

同じ様に、橋本大阪府知事の関空案もきっと本音は予算、つまり経済(お金)ですね。人間はみんな背に腹は変えられない、と・・・、利益だけで手を上げるとどうなりますかねー。

しかも来年の参議選の絡みでの本音と建前‥等々。まだまだ、普天間米軍基地問題に関してはこれからも目が離せませんね。

岡本太郎とクーピー

以前『沖縄文化論』を書いたように、過去岡本太郎は沖縄にかなりハマっていた事が容易に理解できる。

障がい者はアーティストだ!と、太郎も語っていた。
そしてさらに、「人間だれしも障がい者だ!」とも言っていた。

岡本太郎の存在感は、今の日本社会で太郎の死後益々増してきている。これからの時代、太郎の存在はあらゆる意味で、もっともっと大きなものとなるだろう。

岡本太郎は、著名な両親の元に産まれ、ある意味、かなり恵まれた環境で育った。外国にも留学し、帰国後も周囲の期待は高かったはずだ。そして、その時代の日本でのイメージはエリートで大人しく、周囲の受けもよかったはずだ。つまり太郎には、全てが備わっていた。お金も教育も肩書などもあらゆる意味で‥。

しかし彼は、それらを全部捨てた。
あえて全部捨てたのである。
太郎は破壊しなければ進化はない事を知っていた。
恵まれた環境のメリットが致命的デメリットになると気付いていたからだった。
既成概念に挑戦し、あえて社会の体制に真っ正面から逆らった。
異端者、変人、嫌われ者を自らアピールした。

フランスで巨匠ピカソに影響され、その時、魂を入魂されたのだ。
そして、人生の意味、道を見つける。
生まれ変わったのだ!
DNA、概念を飛び越え完全に‥。

自分を高く評価する人からあえて離れ、認めない人にどんどん向かい、徹底的に社会と戦い続けた。そして、なにより自分と闘い続けた。ここで、自然に最大の敵は常に自分自身となっていった。アートは辛い作業だ。帰国後、己との熾烈な戦いを既に確信していた。概念を完全に捨てないといけないのだから。

極端に表現すれば、ある意味で障がい者のためにあるのがアートなのだ。
彼らにとっては、アートは一体で不可欠。自然で普通のことなのだ。
また他にストレートな表現方法がない。
太郎は、書くことも話すことも出来ない人の人生をイメージしていた。アートでの表現しかないのだから。

太郎は、わざと顔をゆがめて、ありったけ障がい者のように堂々とふるまった。
「芸術は爆発だ!」と。

この有名な言葉の本質を理解している人は世の中にどれくらいいるだろうか?

彼こそが究極の菩薩だ!
これから太郎がどんどん必要とされる時代になる。時代が変われば、あのヒトラーだって次第に英雄になる可能性だってある。ナポレオンや織田信長達を今考えてみてほしい。

太郎の『太陽の塔』は、当初酷評された。と言うより熾烈な闘いから生まれた。
しかし今はどうだろう?
ある意味歴史のシンボルそのものである。

しかし、思うに岡本太郎の本質は、恐れずに言うと、絵画や彫刻よりも彼自身のイメージ、パフォーマンスや言葉などから、直接つたわる魂にあるのではないだろうか??作品はその延長線上にあるのでは?と常日頃感じている。彼の言葉の中には、常に『人間』としての本質が含まれている。

その彼が注目し、入魂していた沖縄。
太郎はその時代に沖縄ですでに本土では失われつつある人間の本質を垣間見たのだ。
今の日本社会を読んでいたのだ!

クーピーはそれらの繋がりから、自然に血となり肉となり沖縄の地でこれからの時代の受け皿となるべく設立されたのだ。