魂の器

先日とある上場会社の会長さんに引き合わされた。
元はその会社の社長さんが精神的に悩まれているので紹介したいという話であったが、紹介者の方から詳しい話を聞いて行くうちに、問題は社長だけでは解決しないという感じを覚え、まずは会長からご紹介頂くようにお願いした。

人間関係にもパターンがあり、そのパターンから判断するに、会長がキーマンだと感じたのだ。人間関係は曼荼羅模様で、その人だけを見ても判断ができない。周囲の人間関係を見ていくことで、働きが予想できる。

会長さんとまずお会いして、物静かでとても理知的な人であったが、秘めたパワーを感じた。話してみると、配偶者の方も精神的に悩まれていたという。この方は色々と沖縄ともご縁があり、今回の話を受けて、更に我々とも縁を感じてくれた。詳しくは書かないが、シンクロがあったのだ。

私がみるに、会長さんのパワーが強すぎて、本人もコントロール出来ていないと感じた。

魂には器があり、その器次第で影響する範囲も変わってくる。ただの魂のほかに、民族魂、時代魂、支配魂などがあり、良くも悪くもそのパワーで、周囲の人は影響を受けてしまう。詳しくはまた別途。

で、彼は間違いなく最低でも、民族に影響を与える民族魂の持主であるが、きっと本人は自分のパワーに気づいていない。話の節々で、自分を抑えているように感じた。

魂が本来欲している役割を応援するために我々はやっている。その旨の話をしたところ、彼はこう語った。「精神的に悩む人は、その人の問題だと思っていたけど、実は自分にも原因があるのかもしれないと思った」と。

会長さんは、年下の私にも謙虚で、話をノートにメモしたり、私の原点を確認されたりと真摯に話を聞いてくださった。こういう人格者のためならば、全身全霊で応援する。進化の為に、新たなキッカケと環境づくりで役立てれば幸いだ。

映画「ゴッドファーザー」を見ればわかるが、富と権力を得ても、因縁で苦しむものだ。因縁と愛の関係となり、深い敬愛をもって仕事に打ち込めるのが何よりの幸福だ。

因縁を無視して仕事に打ち込んだとしても、ゴッドファーザーのように、愛する者を失い、
無味乾燥の世界を生きるようになってしまうのだ。

新生クーピーアート

いよいよクーピーアートが本当の姿を現し始めてきた。
先日横浜でビッグアートイベントを行ったのだが、かつてのイベントとは全く違う本当のクーピーアートの一面を披露した。

さぁいざ絵を書こうとした途端に、遮りすべての段取りを破壊する者。
奇声を発する者。泣いている者。憤っている者。常識的な観点から見れば、近寄りたくない姿の人々が登場した。

さてどうだろうか。そのような人々が現れたとしたら、引いてしまうのが一般的であろう。関わりたくないと思い、去っていくのが普通だ。実際そうする方々もいた。

人は自分の概念を超える出来事が起こったとき、固まり、思考停止になり、否定しがちだ。そこからが人間の真価が問われる。

目の前でいきなり訳のわからないものを見せられたときに、その事象から「逃げる人」と「向かう人」に分かれる。

受け入れることが難しいことほど受け入れてみる。そうして向かい続けることで、人は成長し、進化する。

障がい者と呼ばれている人たちは、概念や常識が多くの人とは異なっている。だから、突然発狂したり、何をするのか予測ができない。本来、人間は予測がつかない生き物であり、それが人間の本質である。一人ひとり、感じてることや表現したいことが違うのが当然なのだ。

実は、健常者と思っている我々も、障がい者なのである。論理思考しかできない障がいだったり、感情を表現できない障がいだったり、金儲けだけが得意な障がいというのもあろうだろう。人は皆万能なのではないから、出来ることは限定されている。

皆が共通して持っている、概念と常識を取り払えば、そこには何ら障がい者と変わりがない世界が見えてくる。あるがまま、感じたままの世界である。アーティストはそれを表現している。

誰でも思うことだが、ピカソなどの芸術とされている絵を見て、「意味がわからん」「何の価値があるのだろうか?子供の落書きと何が違うのだろうか?」と考える人はたくさんいるであろう。

子供や障がい者が感じている世界を大人になると感じきれないから、理解しようとするのだ。知ろうとせず、感じることがアートだ。そして感じたことをまた表現することで連鎖していく。

本当に才能ある芸術家とは、高次の霊が降ろせるかどうかにかかっている。類は友を呼ぶというように、それぞれの意識レベルにあった、霊=才能を呼び寄せる。

真の芸術家というのは、普通の人が理解できないものを表現するので、その描いている内面や姿は、なかなか理解することができない。それはピカソや岡本太郎など著名な芸術家と呼ばれる人たちの歴史によって証明されている。

要はその状態こそがクーピーであって、普通の人にとっては理解できない過程を経て、本物のアートが生まれる。アートは、何も絵画だけでなく、人生こそが最大のアートだ。

ビジネスだってアートになる。だからこそ才能開花のために、ジョイントやクーピーというものがあるのだ。

普通の人から見たら、「大の大人があんなに発狂して・・・。」とか、「公衆の面前であんなことするなんて・・・。」と思うかもしれませんが、クーピーは障がい者(アーティスト)の団体なのであって、障がい者は大人でも発狂するし、公衆の面前なんていう概念もない。

「あの人たちは障がい者で絵を描くときはいつもあんな感じですが、何か問題ありますか?」といわれたら、自らに潜む概念が浮き彫りにされ、またとない気付きの機会となるだろう。

クーピーに参加した人は、
「不思議だな~と思ったのは、最初はボランティアみたいな気持で参加したのに、逆に癒されたのは僕の方で、クーピーを楽しそうにやっている障がい者の方や子供の方から学ぶ事が多かった気がします」という意見が多い。

人間の本性が出て、それを感じた時、普段眠らされている感性が出しやすくなるし、出せなくても感じるのです。そこから才能開花の旅は始まるのだ。

長くなったので、クーピーの由来についてはまた今度!

因縁の法則

以前、シザーハンズの解説をしたが、その続きである。
http://ozeki.fa-fa.com/?eid=1227017

シザーハンズを観たことのない人はわからない内容になっているので、是非映画をみてほしい。

因縁に興味ある方が多いようなので、その話からしよう。

主人公のエドワードとヒロインのキムは「因縁」だろうか?

実は彼らは因縁ではなく、キムとジムが因縁なのだ。因縁は究極の関係になると最後は殺しあいになる。キムとジムは、エドワードがいなかったとしたら、最後はどちらかが相手を殺していただろう。それを菩薩であるエドワードが自己犠牲で救ったのである。

よく、夫婦や恋人、親子で殺人事件があるのはこういう理由もある。
今生でいよいよ、因縁解消かというクライマックスで、殺して終わるか、
昇華できるかが問われているのだ。

因縁の問題は、当事者だけでは解決できないという法則がある。だからこそ、昔は仲人という制度があったのだ。当事者では冷静な話し合いはできない。信頼できる第三者の存在が欠かせないのだ。その他にも因縁の法則はある。それはまた書こう。

話を戻して、ジムは実は悪霊である。だからこそ菩薩が引導を渡した。また彼の父親は深層意識では財産を憎んでいた。だからジムはそれを盗もうとした。その為にエドワードは利用されたが、知っていてもそれをやるのが菩薩なのである。

因縁の特徴として、意味がわからないことを相手がする、ということがある。この場合、親からしてみたら、子が盗みに入るのは意味がわからない。なんでこんなことをするのだろうか?ということを因縁の相手はするし、またそういうことを言う。

因縁だからか!とわからなければ、ずっとそのことで悩み苦しむ。逆に因縁だからなと理解できれば、心も納得し苦しむことはすくない。

理解できないことを相手が行ったり言ったりするのは、相手が因縁である信号の一つである。

これがわかるだけで、どれほどの価値があることか考えてもらいたい。煩悶し、苦しむことが解消される価値を!

みなそうした苦しみを解消するために、金を使って癒すわけである。男性であれば、女性に使ってみたり、女性であれば買い物などだ。

そうではなく、互いが信頼できる第三者に間に入ってもらうだけで、因縁のほとんどの問題は解決することができる。

ただし、その第三者に入る人間も因縁の関係というものを理解していなければならない。

重大な責任を背負わなければならない大変な役割なのだ。
それを忘れてはならない。

因縁の知恵があるだけで、心安らかになれるのだから大きな財産といえるだろう。

千羽鶴

本日35歳となりました!両親とご先祖様、そして今までご縁があった皆様に感謝いたします。今日はつい先日、私が沖縄で体験した話からです。

私が人生のなかで一番敬愛している方が、大きな手術前の入院であるのにも関わらず、沖縄の病院でとある人物を紹介してくださいました。その人物とは、政権交代で揺らぐ、現政権の中心にいるかなりの著名人物でした。(政治的混乱を起こさないよう名前を出すのは控えておきます。)

話を聞くと、その人物は定期的に、非公式で沖縄まで政治的アドバイスを聞きにきているそうです。たまたま、日程が重なり、また、今後私が沖縄で全国を巻き込むプロジェクトを行うためには必要であろうと、その方を紹介していただいたのです。

今までにも、私の人生で一番敬愛している方と出会ってから、様々な「教え」と「出会い」をいただいてきました。その中で、約2年前におっしゃっていたことを思い出しました。

「2009年9月に日本は変化を迎える。」・・・と。

そして、2009年8月30日に衆院議員選挙の投票が行われ、結果、民主党が新政権を発足させることが確実となった。つまり、2009年9月から政権交代となった・・・。

その事実と、目の前にいる人物。
どう見ても、普通のことではない。非日常がそこにはあった。日本国というのは、こうやって動いていくものなのだ。

っと、思い出しただけで、興奮してしまったので、語尾がおかしくなってしまいましたね。

でも、最近私の周りには、こういったことが日常茶飯事に起こっている。私がやろうとしていることを考えれば、それは当たり前のことなのかもしれませんが、最近は想いが現実化し、どんどん加速してきたように感じます。

想いのある仲間も集まり始めました!
必要な人物とも会うことが出来るようになりました!

必要なものが全て揃い始めました!

この環境、すべてに感謝をし、この環境を与えてくださった方からの「教え」をさらに磨いて、精進していきたいと思います。

これこそが、菩薩の道です。そして、

続きを読む 千羽鶴

イエスマン

イエスマン “YES”は人生のパスワード 特別版 [DVD]
イエスマン “YES”は人生のパスワード 特別版 [DVD]
ペイトン・リード,ジム・キャリー,ズーイー・デシャネル,ブラッドリー・クーパー,ジョン・マイケル・ヒギンス,テレンス・スタンプ
イエスマンを題材に菩薩の話を書こうと思います。
これも如来の方よりの信号を受けての話です。
まず「イエスマン」というタイトルは、キリストのイエスとも
かけています。映画の中で、ノーマンはたくさん出てくるが、
イエスマンは彼しか出てきません。最初のセミナーのシーンで
皆が「ノーマン、ノーマン」と連呼しますが、「イエスマン」とは
言わずに、「イエス」とだけ言うのにも意味があります。
かつ大衆は、ノーかイエスか、どちらかしか言わないのです。
どちらかを信じることだけしかできないとも言えます。
洗脳されているのと同じです。
さて、主人公の転機は突然の出会いから始まります。
知人が突然、銀行の窓ガラスを割るシーンを覚えていますか?
これは二つのことを象徴していて、イエスマンの心の壁を割った
ことと、大企業である銀行の壁を割ったことです。後者は後で。
普通なら、ガラスを破るような人間が薦めてきたセミナーに
参加はしないでしょう。心の壁が衝撃によって壊れたときだから
あり得ない行動がとれるのです。そして、セミナーでも講師(如来)
に信号を送られ、イエスマンは菩薩の道を歩みだします。
本来の道を歩み始めると、最初は試練の連続から始まる。
彼の場合は前世までに頑張っていたから、菩薩として誰に向かうか
という試練がなく、向かうリストもプレゼントされている。
銀行の顧客リストが彼の救う対象者。
彼らに融資許可のハンコを押して、彼も救われる。銀行も
今までしていなかった個人向け融資という新市場を開拓でき、
彼は出世する。今までの銀行の壁を破ったわけです。
最後には彼が助けた人のバイクに乗り、彼は助けられましたね。
これも象徴。こういうことが次々と起こるのです。そして、
裸(執着がない状態)でバイクに乗り時空を超えて飛んでいく。
まるで雲に乗っているようです。
雲から降りてきた菩薩は、最後には大衆を裸(無執着)にして、
ボランティア活動を支援する。われわれの場合は、これがクーピー
活動なのです。
私にとって何より印象的だったのは、この話をした場所が
映画とシンクロしていたのです。テレンスというセミナーの講師
が、イエスマンに告白する病院のベットでのシーンです。
たまたま備え付けられていたオンデマンドTVで「イエスマン」が
用意されていて、私が来たときにたまたま見ていて、それで
話が始まり、気がついたら映画と同じようになっていたと。
こういうシンクロの連続を現実に体験することが面白いし、
それをすべて受け入れていくと、この世の中は矛盾もないのだと
理解できるようになっていくのです。
Ps:コメントにあった、イチギさんの、
「試されているのだとしたら、いままで逃げてきたぶん、YESと言いたいです」というのも、今日このエントリーを書いた信号になりました。これもシンクロだなと思ってです。