信頼の絆

最近、NHKスペシャルで自動車革命を見た。
それを見て昔を思い出した。会社辞めて、試行錯誤していた頃にアニメAKIRAに出てくる金田のバイクが欲しくて作ろうと電気自動車やバイクを調べたことがあった。当時はタカラが
実際に乗れるチョロQの電気自動車を出したころだった。

調べたら、面白そうな市場だなと感じて投資を考え、周囲の人脈から自動車関係の人たちに会って話を聞いたことがあった。

タイヤそれぞれにモーターがつけば、今の自動車とは全く違う動きが可能となること、既存の自転車が抱えている構造的問題から解放されることによるデザインの自由度のことなど興味深い話があった。

結局は、時期尚早としてやめたのだが、時代というものは早すぎても駄目だし、もちろん遅すぎても乗り遅れる。

時代を感じても、タイミングを掴まないと時流には乗れない。そのためには、人間関係が大事だ。どんな人に会って話をするかで決断に影響してくる。

いま政治の世界で、普天間基地移転問題がよく報道されている。しかし、それだけでは現実はわからない。私は先日、ある大臣の関係者に会って沖縄問題を話したり、また私が委員を務めている対米請求権事業協会の委員会では、沖縄側からしか見えない基地に対する視点を拝聴して時代の把握に努めている。

なぜ米軍は沖縄に基地を置きたがるか?一面として、教会・宗教の問題もあるという。いろんな立場の人と話をしなければ現実は見えてこない。

他にも、我々は官僚や大企業、専門家などの方の御子息を預かって一緒に働いたりしている。その親御さんたちとはご専門の裏事情の深い話もお聞きできる。これも家庭の問題解決に我々が役立っているからこそである。

政治、経済、文化、宗教といった、様々なジャンルの方々と意見交換してタイミングをみている。本当に大事な情報はネットには出てこない。リアルで会って、信頼されてこそ話せるものだからだ。

では信頼ってどうやって生まれるのだろうか?
時間をかけることか?契約書を交わすことか?

どんなに長く付き合っても信頼できない人もいれば、短時間でも信頼できる人もいる。契約書は取引の関係だから、条件付きの信頼だ。

一緒に戦争に行って、背中を任せられる相手が今いるだろうか?
また、初めて会ったとしたら、どうしたら任せられるようになるだろうか?
絆の作り方がわからなければ、これからは生きるのが大変だろう。

我々は、
自殺志願だった子が、生きる喜びを感じた!
ひきこもりが治った!
親子や夫婦関係が良くなった!
といったことをお手伝いしてきた。深く関わらなければお手伝いもできない。関係が深くなれば、自然と信頼できるものだ。

今こそ、組織や人種、国籍といった枠組みさえも超える信頼の構築が必要だ。そして因縁こそが絆の原点である。因縁の法則についても徐々に書いていきますね!

ノーベル賞の裏

ノーベル平和賞がオバマ大統領におくられた。異例の受賞だ。今までなら、業績があり、時間の試練を経た生存者だけが受賞してきた。業績もなく時間も経っていない彼になぜ賞がおくられたのだろうか?

物事には表と裏がある。そして、そのまた表と裏にも、さらに表と裏があると言われている。どんな見方も可能性の一つとして捉えることから見え方が変わってくる。

人はみな自分なりの常識、概念を持っている。
しかしそれはある見方の一面でしかない。
オバマは菩薩である。というのも一つの見方だ。

さて実は、日本人初のノーベル文学賞は三島由紀夫におくられるはずだったと聞いたらどう思うだろうか?

彼もまた菩薩だった。しかし、彼は魔境に入ったために、本来向かうべきところを間違えた。そして何でも実現できた彼は、老い、病に自分が負けることが許せなく、死さえも自分の手でコントロールしようとした。才能ある人がなぜあのような死を選んだか?
私には、菩薩が道を間違えたからだとするとすっと納得ができる。

話をもどそう。オバマ大統領に賞を与えた理由も、菩薩だと考えたら理解できる。いま彼に賞を与えることで、更に菩薩の道を邁進させようと応援してる人がいると聞いた。遅く与えては遅いかもしれないからだと。この意味がわかるだろうか?これも一つの解釈だ。

このように、たとえば菩薩という概念一つをとってみても、人それぞれ連想することが違うであろう。自分なりに、菩薩とはこういうイメージだという定義があって、世界をイメージできる。これは菩薩という概念だけに限らない。世界に対して自分なりの解釈、価値観の柱がないと、状況に振り回されるだけである。

表面だけを見ていては、物事の真相は見えてこない。人間も、心・魂・霊といったものから見ていかないと説明がつかないことが多々ある。

人は思考で生きているように見えるが、実はその奥にある無意識、霊魂といったものに動かされている。

霊=概念といってもいい。
人とは違う概念・違う見方から見たとき、多数の人は違和感を感じる。人と違うより同じでいたいからだ。それはそれでいい。何も悪いことではない。

たとえば、お金が欲しい人は好きなだけ追い求めたらいい。その人の修行だ。で、私は数多くのいわゆる成功した人や著名人に会う機会に恵まれてきた。

先日のShihoちゃん結婚式でも、数多くの方と再会したり、紹介されたりした。K1の石井館長やパソナ南部社長とは、農業の話や障がい者アートの話をした。神田うのさんのBlogにも写真が載っているよと教えてもらったが、こうしたことも今まで、多くの人に会いすぎて、いちいち書くのが大変なので、あえてあまり書かないようにしていた。

今後は相手を特定すると問題があるような会話も多いので、誰かというよりは、話の中身を書いていこうと思う。オバマ大統領の話も、会話の一部として話している。菩薩を説明する際にわかりやすいからだ。

前回書いた因縁もその一部だ。
それらを書けば、私が感じた時代というものをよりわかりやすくお伝えできるかと思う。

因縁とは?

結局のところ、この社会は人間が動かしている。
政治も経済も文化も。。だから、人間がわかれば
大抵のことは理解できるようになる。

人間とは何か?
霊長類と呼ばれているように、霊の長(おさ)か?

たまに個人情報流失が問題になるが、究極の個人情報は何か?
それは霊魂の情報だ。人にはドライバーが存在する。
自分をおもに操縦している情報が知られてしまえば、
こういうパターンの人間だからこうしようと対策をとられる。

その人の中にある情報を探るために、占星術も発達したわけだ。

大きく分けて、
表層意識・顕在意識と言われている普段自分が認識している意識と
深層意識・潜在意識と言われている無意識の意識がある。

簡単にいうと、無意識の影響を意識は受けている。
わかりやすい例を書くと、幼いころのトラウマの影響で
人をなぜか信頼できないといった具合だ。

もっと言うと、無意識の層には、仏教でいう阿頼耶識や
ユングの言う集合的無意識などまだある。それが時代に影響を与えている。

先日、ある著名な方にお会いした。
その方は信頼していた人に騙されて、折角稼いだお金も失い、意気消沈していた。
(ちなみに、夫婦喧嘩の9割は経済的な問題だと言われている)

普通であれば、「まずお金を取り戻すために訴訟しよう」とか、
「運が悪かったね」とか言って慰めるか、次は頑張ろうと励ますくらいだろう。でも、それでは本質的な問題は解決しない。先送りするだけだ。

この世は何の矛盾もないのだ。原因があるから結果がある。

私がまず説明したのは因縁という概念だ。
私が言う因縁とは、簡単に言うと感情が入りやすい相手のことだ。
親子とか恋人・夫婦、仕事の仲間、友達など。
知人程度の人間関係でも、なんかムカつくとか、なんか愛しいのであれば
因縁の法則が働きやすい。

因縁の相手とは、まず感情が入りやすいので判断が狂いやすい。
その関係にハマって冷静な判断ができなくなる。
例えば、親に勉強しなさいと言われたら、心配して言ってくれているのは後で考えたらわかるけど、その場ではウザかったり、ムカついたりしてその提案をじっくり冷静に吟味することができない。だからその人の本質が出やすい。

因縁の関係は、自分のパターンを知り、進化するために必要なのだ。
そして因縁の関係は、嫌なことをされるほうが多い。
嫌なことのほうが印象に残りやすいというのもあるが、そうした試練を作ってくれる貴重な相手でもある。因縁は、味方でもあり敵でもある。

冒頭の方には、
「ですから因縁には因縁の法則に従って対処しないとウマくいかないし、それは自分ではわからないものです。第三者の信頼できる人が必要ですが、今の貴方では人を信頼するのが難しいでしょう。まずは、なぜそうした結果が起きたのか?自分の中にある原因を突き止めなければまた同じようなことを繰り返しますよ。」と。

「私には貴方がお金に対する執着があるのを感じますよ。まずそうしたことを突き詰めて自分自身を見つめる良いきっかけにしてはいかがですか?」と話しました。

相手は、
「執着と言われも、儲けようと思ったわけではないです。信頼していましたし、まさか使い込んでるとは思わなくて。そういうことするほうが悪くないですか?私は被害者です」と。

長くなるので省略しますが、自分は被害者だという意識の壁がある限りは、問題から学びは得られないし、ピンチをチャンスに変えることもできないのだ。

私からすれば、話を聞けば聞くほど、お金を取ってくれといわんばかりのことをしてきたようにしか見えないのである。自分だけが見えていない。

無意識にしている言動にヒントがある。それがわかれば、授業料は何倍にもなって帰ってくるのだ。自分を知るために、まず沖縄にいってJOINTをやってみてはどうですか?とお勧めした。

困らなければ成長はない。成長に痛みは付きものであるが、成長したら良い思い出になる。こうして、一緒にその人の本質を探るお手伝いを二年間してきました。そうした内面の旅を一緒にした者は、仲間・家族となります。こうして信頼の輪を広げています。

温かいコメントを頂きありがとうございます。
涙がでます。なぜかわからないけど、泣いているときが
一番素直になっている感じがします。
私も人間ですから、欲もあり、辛いことに負けそうになったり
目先のことに右往左往したりもします。
そんなとき、こうしたコメントの数々を思い出し、皆さんの想いと一緒に
動いていると思えば力に変わります。
志半ばで倒れた人の気持ちはどうだったのだろうか?
愛と平和のために命をかけた人たちの想いはどうなるのだろうか?
自分の大事な人々を守りたいという願い。
こうしたことを想像します。
自分はひとりではない。繋がっているんだという感覚が勇気を与えてくれます。

菩薩宣言

今も続くブッダの教えは、ある一日の悟りから始まった。
また、キリストが活動した時間はたった数年だ。
準備が宿りし心にはチャンスが訪れる。
たった一日が人生のすべてに匹敵することがある。
極めれば、一日にすべてがある。
人が変わるのに時間は必要ないのだ。たった一瞬で変わってしまう。
如来の方に沖縄でお会いしてきた。
これまで何回かお会いさせていただき、自分は菩薩だと教わってきた。
私はIT企業を創業し、サラリーマンの生涯賃金と同等の資金を
得たために引退した。それ以上稼ぐことに意味を感じなかったからだ。
それから、自分の使命や心、魂とはなんぞやと探し続け、
沖縄でその答えに出会った。
すでに時代は変わった。
これからは環境と医療福祉、農業が大きなテーマになってくる。
これらが象徴するものは、「守る」ということだ。
自然を守る、体を守るなどなど。
20世紀は攻めの時代だった。21世紀は守る時代になる。
今までカッコ良かったものが、カッコ悪くなり、
カッコ悪かったものが、カッコ良くなる。
時代の力は大きくて、例えば昔は目が細い人がモテた時代もあったように
感覚が変わってくる。
今は農業が主産業になるとは想像もつかないだろう。
石炭の時代から石油の時代へと変わったように、時代は確実に変わっていく。
人は、安心・安定を求めて行動をし、そこに成長という軸をもって
三角形を形どり動いている。成長するから安定し、成長するから安心する。
ところが、それがいつしか、やりすぎて、必要以上の成長、安定を求めだ
したからおかしくなった。
必要以上のお金を欲しがるのは餓鬼道。
求められているのは、物質的な成長から精神的な成長に変わった。
これからは、あえて、今まで表現してこなかったことを書いていこうと思う。

お墓参り

青山墓地へお墓参り。
ご先祖さまに感謝します。

1999年

10年前の今日、axiv.comという会社を設立した。
あれから10年。今日は当時を思い出したりしていた。
なんで10月8日という日付にしたのかとか。
偶然にも、Jobwebと同じ誕生日だったりとか、
後で面白い偶然がいくつかあった。
渡辺美里の「10Years」という曲を思い出す。
「あれから10年も
この先10年も」という歌詞。

色々とこれからのために経験してきた10年だったように感じる。
今までの経験を活かして、完全燃焼する人生にしよう。
生かされている自分ができることを追及したい。
周囲の幸せと共に。

結婚式

今まで出席した結婚式のなかで過去最大の人数!500人以上いてびっくり!日本交通マークがウエディングケーキの上に!
何度行っても結婚式はいいですね。思い出します。いろんな想いが伝わってきて、活かされてることを実感します。
おめでとうございます!

宝物


今回は沖縄でいろんな気付きを得た。
自分の内面を掘り下げるのは辛い作業だ。
毎回、締め切りごとにそんな作業をしているであろう
漫画家の井上雄彦さんはすごいなと改めて尊敬する。
さて、そんな辛い時には、家族の支えがあるといいねーと
以前書いたけど、今日感動しましたよー!!
私が子供に対して、躾けようと自分で何でもやらせるように
していたら、泣き出して、
「ママに会いたい、パパ嫌い」と言われました。
「そっか、パパは大好きなのに、嫌いなんだー。寂しいな」
と言ってみたら、しばらくして、
「パパ大好きだよ」と言ってくれて、それだけで嬉しくなる
とは今まで想像もしなかった。子供が可愛いというのは
ペットみたいなもんだと思ったけど、違うもんですね。
で、寝るときに、
「明日にはママくるからね!ママのこと大好きだよ!パパのことも大好きだよ!」と話してくれて、そのあとぎゅっと抱きついてくれました。愛おしすぎる!!
親馬鹿ですいません。たまにはいいかなと。
個人的には、パパよりお父さんと呼ばれたいので、
教えているのですが、たまにしかお父さんと言わないのが残念。
3歳くらいまでに子供にもらった愛情で、残りは育てるもんだと
誰かいってましたけど、それで一生頑張れるくらい可愛いって
ことですからね。そのあと憎たらしくなるらしいですが・・・。