チェザーレ=ボルジア

最近チェザーレ=ボルジアを読んだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106465035/ozeki-22
偶然にも、先週からモーニング誌で、チェザーレの漫画も始まった。
チェザーレとはイタリア読みで、カエサルと同じ。
その短い生涯にも関わらず、マキャベリの君主論のモデルとなっている。
レオナルド=ダビンチを雇って先駆的な試みなどをしているので、もし生きていたら?と
思わせる人間である。
アレキサンダーといい、短命で華々しく散った人物に最近興味があるのかもしれない。
堀江さんもここで散ったら名を残すのだろう。
善悪の彼岸を超えて、自ら責任を負って行動する力って素晴らしいなと
最近自分に活を入れているのであった。

なぜファッションか?

なぜZeelを創業したのかを聞かれることがある。
お定まりの答えとしては、こことこちらに書いたけど、
前者は、どういう会社を作りたいか?後者は、どんなサービスが欲しいか?で
なぜファッションか?ということについては公にしたことがなかった。
それは深く考えたことがなかったからなのだが、先日ソエダンナの前職の同期(各自が素晴らしい魂の持ち主)の皆さんと飲んだときに、考えるきっかけをもらった。
話はここでいきなり飛ぶが、人は全面的に成長しなければいけないと思う。
偏っていては駄目なのだ。偏りと強みは、常に悩ましい問題であるが、最近これは
机上の空論だと感じてきた。強みをいくら強くしようとしても、自然とバランスが取れるのだ。
例えば、野球でホームランを打ちたいから、腕力だけ鍛えていても成果はあがらないように。
ある程度までいくと、他の部分が制約をかけるのだ。人は、合理的も不合理も両方理解しないと
ならないのだろう。
話は戻って、私はITと呼ばれる業界で働いてきた。ITは効率化のツールである。これば便利である。
だから価値がある。経済合理性だけを考えたら、効率化を推し進め付加価値を上げる
事業をするのが最もだ。すると、投資になってしまう。
それは否定するわけではなく、もちろんそれは大変大事なことで、車の両輪でいうと
片輪である。私は、効率化の対極にあるのが効果的な行為なのだと仮定する。
今世紀は、効果的な経済行為を伸ばす必要があるのではないかと
思い込んでいるのだ。天邪鬼だからかもしれないが。
ファッションは、文化であり芸術ありつつも、経済的な側面を持っている存在だとは
いえないだろうか?
少々の経済的成功を得たが、まだまだ成功したくなってきたのだ。
が、それだけだとバランスが悪い。それにつまらない。
経済という外面的要素を更に求めつつも、内面的要素も磨いていきたいのだ。
そのためには形のない、一見評価しずらいことを行うのが楽しそうだなということで
ファッションを事業領域にしているのである。
外面の探求と内面の探求は同時に行われるべきだ。
どちらか一つでは成熟していないし、全面的な成長とはいえないと信じている。
ということで、いまZeel一押し商品。
オーダーメイドの靴はいかがですかー?
http://www.zeel.jp/Imai-Hiroki/
貴方だけの一品をどうぞ。

旅の途中

人は判断をする。
やってくる情報にラベルを張り在庫する。
ラベルされたものは自分のものとして所有される。
それは自分のものとなった。
それは自然から切り離されてしまったものだ。
切り取った一部を楽しむこともできるだろう。
しかし、それは既に死んでいる。全体を感じることは不可能になる。
ある人が、仏陀が悟る前の行動を逐次評価していたとする。
・シッダルダは今日昼寝をしていた。だから駄目な奴だとラベルする。
彼が仏陀となり光明を得たと知ったものが彼を評価したとする。
・仏陀は慈悲と安らぎの表情をたたえ横たわっている。どんなときも偉大な人は違うとラベルする。
ここで自分に言いたいことは二つある。
1.課程を評価しない。常に今の時点でのベストとおもい、肯定的に捉える
彼がどのようなことを望み、生きようとしているのか。外側からはなにも見えない。
自分の尺度でしか判断できないのであるから、全面的に肯定する。
2.対象物に自分が振り回されずに、すべての責任を自分が負わねば自由になれない
人は人。みな人それぞれに旅を生きている。自分が常に自分の主人である。
誰かの奴隷にはならないで。
私はまだまだ旅の途中。自分で責任を取るということがわかっていないようだ。
奴隷と主人の状態をいったりきたり。

お気楽会

ご無沙汰です。呼ばれて飛び出てまいりましたー。
http://gooood.exblog.jp/さん、
お呼びくださってありがとうございます。催促されたら書こうかなと思い立ちました。
根が不精なので気長にお付き合いくださいませ。
さてNHKの取材を受けていたときに知ったのですが、日本に広がりつつある格差と
自ら命を絶つ人の増加傾向は深刻ですね。
私は何でも「問題はHappy」とおもうようにしていますが、客観視できないと
「そうもいくめー」という感じなのでしょうね。必要以上に真面目で視野が狭くなっていると
自殺に向かっていくのかなと勝手な想像してました。
ということで、年初にKNN神田さんに教わったことを
実践しようかなーと思いました。
それは、宗教団体を作る!です。普通もてないものをもってみたい!というだけなんですが、
10年くらい活動をしていると認められると。30歳の今年から地道に活動していれば、
40歳の頃に宗教法人になれるというわけですな。
名づけて、「お気楽会」。もっと気楽に生きてもいいよー、自殺なんてしなくてもいいよーという
ことを適当に(これまたお気楽に)安心する会です。
お気楽会の会員は、
「辛いなー」という人が居たら
「ですよねー、辛いですよね。休みましょうよー。とりあえず、ドロケーでもします?」と
お気楽なことをいうだけという簡単な教義。
さーみんなで「お気楽会」に入信しようー(^^♪
さて、本日のウルトラカードは、、、、、

続きを読む お気楽会

アレキサンダー


公開終了間際ということで、急いで見てきました。
歴史ものが好きなので、それだけで十分楽しめますが、
これからの英雄像はどのようなものになるか思案する
きっかけとなりました。
私たちは、生死が身近にないためにひ弱になっていますが、
知識は増えて、頭でっかちになっているのでしょう。
頭はクールに、ハートは燃えるようになることって
あまり思いつかないですよね。
壮大な夢というのが持ちにくい世の中なのかもしれません。
やはり宇宙かなぁ。

メンター

風邪かと思ったらアレルギーでした。一件落着。
お師匠さんから教えていただいた言葉。
カルロス・ゴーン氏の回答の一部を紹介します。
「あなたを今日に導いたメンターを教えて下さい?」に対してゴーン氏の回答は、
「偉大な人とは、並外れた意志を持った普通の人である。」トップにたつものは、
興味を持たれる存在であるべき、誰も退屈な人には従わない。どんなことも一人では
大きな力になりえない。そして継続しなくては結果に結びつかない。コミットメント
は、目標ではない、必達である。言葉ではなく事実あるのみ。私のメンターは、日常
の中に目立たない普通の人です。そのような人が沢山メンターとしています。

考えさせられました。