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ベトナムの可能性

北朝鮮のデノミとドバイの崩壊」でも書いたとおり、世界の大投資家は、ドバイのような堅実で花形の場所に投資もすれば、北朝鮮のような超ハイリスクハイリターンの場所にも投資をしている。

そして、ベトナムも社会的には閉じられた国(社会主義国)であり、これから発展することがわかっている国で、投資も集まっている。

以前ホーチミン市の7区と呼ばれる開発地帯を視察してきた。高級住宅街や最新の近代建築ビルなど、最新鋭の開発がされている場所だ。道路も片道7車線という。渡るだけで一分以上かかりそうだ。さらに遊園地のようなものまで作られている。

ホーチミン市の1区(中心)周辺では、まったく言っていいほど、観光地やデートスポットなどのエンターテイメントが無いのである。観光するにしても、3日も周ればもう行く場所に困るほどだ。

ホーチンミンシティで生活している市民はどこで遊んでいるのだろう、と不思議になる。もちろんベトナムにもカップルはいて、友達グループ、家族グループがいる。また意識の高い人間もたくさんいる。

だからこそ、彼らのエネルギーの行き場所がないのだ。有り余っている。ベトナム人が持っているエネルギーを有効活用する提案をできればと考えている。

沖縄プロジェクトの一環として、我々はクーピーアートをベトナムでもおこなっている。ベトナム人のエネルギーを、良い方向に導いてあげたい。そのために、クーピーアートは最高の活動である。

発展途上のときから、こういった助け合いの精神、福祉の精神を持つことは、国をより良くするのに必要不可欠である。日本のように、お金だけに走ってしまう人が増えてくると、ろくなことがない。

ベトナムは社会主義国であるため、NPOという団体の概念がない。しかし、その意味や本質は伝えることができる。ベトナムの人のなかにも、その本質を理解し、「これからのベトナムには絶対に必要だ!」と頑張ってくれる人が増えてきた。

ベトナムでは、「集合罪」と呼ばれる法律があって、人が集まって活動することに制限がある。下手すれば掴まることも十分あり得る。革命で出来た政権なので、革命につながる動きに敏感だ。

しかし、クーピーは大義ある活動であるため、むしろ捕まえる側の公安(日本でいう警察)の人間ですら、今では一緒に応援してくれるのだ。最初は大変だったが。

今後はさらに沖縄とベトナムの連携が強くなっていく。

イメージとしては、今まで沖縄、東京でやってきたジョイント、またクーピー、猫寺、バースなどが入口となり、未だ東京で彷徨っている経営者や資産家、そして意識の高い若者たちが、沖縄をハブとして、ベトナム、そしてその先の世界に繋がっていくことになるであろう。

先日、新たなランドラッシュのことがNHKで放映されていた。世界中で農地争奪戦が進められている。その中でもベトナムは大農業国で注目されている。しかし、社会主義国故に一筋縄ではいかない。

我々のように、利益だけでなく、社会をよくする運動をまず行ってから入るやり方が結局はうまくいくだろう。展開の仕方も新しいやり方で、時代の先駆けなのだ。

興味ある若者はどんどん参加してほしい!

ベトナム(日本の救世主たる国家)

つい先日、私はベトナムに行ってきた。すでにベトナムに行くのは5、6回目くらいになるであろうか。久しぶりの訪越である。私が計画している沖縄プロジェクトは、もちろん沖縄からの繋がりで、沖縄のみにあらず、世界中に広がっている。

ベトナムには我々の仲間がすでに10年以上前から住んでおり、時代を動かすためにVIETNAM~日本、沖縄~世界展開をイメージした布石的活動を行っている。

3年ほど前であろうか、ベトナム株が日本で流行った時期があった。あれはまだ時代が動くには時期尚早であった。日本からの行き場のない資金が、世界の発展途上国に流れ、バブルが弾けそして失われた。

完全な世界規模の仕手である。これによってかなりの資金を失った個人投資家は多いのではないだろうか。先月のドバイも同じである。グローバルマネーゲームによるワンパターンの構図だ。

それはともかく、ここ数ヶ月の間にジョイントにより修業した、熱くエネルギーが溢れる世界が欲っする若者を、数人ベトナムに送り込んだ。何故ならベトナムの熱く燃える時代は、そろそろ本格的に動きだす。ここ1、2年で激変するはずだ。

今回そのベトナムで、時代を動かすための布石を打ってきた。その話を少しだけしてみよう。

ベトナム、ホーチミンに到着し、空港から外に出た時の暑さが沖縄の盛夏を思いだす。快晴の夏というよりも、どんよりと湿った空気の暑さ。ベトナムは今乾季であるにも関わらずこの蒸し暑さ。「ベトナムに来た」という実感よりも、「沖縄の夏に戻った」という感覚だ。

空港にベトナム政府共産党の方が迎えにきてくれていた。空港からリムジンに乗り、道を走り始めると、懐かしいバイクの多さに、やっとベトナムに来たことを実感させられた。ベトナムでは本当に一人につき一台のような感じなのだ。(数字上でも、人口9000万人弱にバイク7000万台くらいあるそうだ)

広々とした公園で休んでいる人たち、バイクに乗ってどこかへ向かう人たち。東京だったら平日の昼間にこんなに多くの人が出歩いていることはない。この人たちは一体何をしているのだろうか?どの人も目が輝いている。エネルギーを感じる。

ホテルに到着すると、笑顔のベルボーイが出迎え、荷物を運んでくれる。ドアには二人もドアマンが立ち、お客様の出迎えを丁寧にしている。その洗練されたサービスは沖縄にある、いや世界のリゾートホテル以上の丁寧さだ。コネがものをいう社会なので、人によっては対応が違うかもしれない。

街中には古びた建物や、スラムを思わせる汚い場所がごろごろしている。そんな中に、たくさんの綺麗なホテルが立ち並んでいる。沖縄以上のチャンプルー(混ぜこぜ)だ。

ホーチミンはベトナムの中でも大都市だが、街中がチャンプルーされている。これがまたベトナムらしいと言えるだろう。ホーチミン1区は中心区域だが、都市開発というにはほど遠いバラバラな開発である。この反省からいま新たな都市計画が進んでおり、中心地は1区からやがて移動する。

ベトナムは政治的には、共産党の一党独裁政治により、その権力が保たれている。少しでも政府を批判しようものなら、掴まって刑務所に入れられるほどだ。だからこそ、沖縄での日本的利権構造よりも、さらに強固な利権が存在する。

いつも利権というものは良い悪いは別にして、一つの大きなチャンスでもある。利権とは利益に関する権利だが、特別な利益ほど本来は大義が必要とされる。特別な利益を得たものは、それを大義に使うことが求められるが、大義を失った者は、個人的な利益追求をするからおかしなことになってくる。

ホテル到着後、政府の人間たちとサイゴン川のディナークルーズにて会食が行われた。

ベトナムは世界中でアメリカに戦争で勝った唯一の国であることは、ほとんどの人が知っているだろう。(詳しく言うと、ベトナム戦争は代理戦争であったわけだが、細かい話は止めよう。)

米軍はベトナム戦争時に、沖縄の嘉手納基地から爆撃機を飛ばしていたのだ。多数の爆弾を備えて・・・。それを沖縄の人たちは、阻止しようとした。米国統治下の沖縄でベトナム戦争を批判する暴動を起こした。ベトナムと沖縄は、琉球王朝時代からのつながりがあったことも関係している。

それをベトナムの人たちは知っており、沖縄の先人たちに感謝しているのだ。実際に戦争証跡博物館の中に、日本語で書かれた戦争反対のポスターが展示されている。ちなみに著名な戦場カメラマンである、石川文洋さんも沖縄出身の方である。

ベトナムはこれから急成長し、劇的に発展していくことは間違いない。しかし、道を間違えると、日本のようになってしまう。日本は戦後、アメリカの資本主義に洗脳され、心と魂を失いかけている。そして、日本人の精神崩壊による影響で社会秩序が乱れ、それが経済にまで悪影響を与えるようになってきた。このままでは、日本が潰れるのも時間の問題である。

ベトナム人はかつての日本人と似ている部分がある。真面目で器用だ。そして志がある人が多い。また大農業国でもある。日本が体験してきた経験をベトナムは必要としている。ベトナムこそが日本にとっての、救世主となるだろう。そんな話を政府関係者とした。

ベトナム報告

ベトナムの世界に触れて感じたことを一言で言えば、
「意識が高い」に尽きる。
10年以上前から沖縄からベトナム入りしているメンバーや
特にここ一年、仲間が頑張ってくれたお陰で、深い人脈が
できてきた。
ベトナムは共産圏なので、簡単に集会などできません。
集合するには届出が必要です。またNPOもありません。
学生集めてセミナーもしたのですが、これも公安が介入し
国外退去処分されてもおかしくないことです。
多くの日本人は、逮捕されるかも?と聞いたら、すぐに弱腰に
なってやろうとはしないでしょう。しかし、現場でベトナムの
ためになることを切々と訴えて戦ってきたのです。
そのお陰で、ベトナムのメンバーの魂にも火がつき、
自分たちでこの国をよくしようと燃えています。
ベトナム人のエリート層の人でも、公安から逮捕される
危険もあるのに応援してくれたりしています。
あるベトナム人の大学教授は、
「当時国内問題であった枯葉剤の問題を、世界の問題に広げて
くれたのは、日本女性の写真がキッカケだった。本当に感謝して
いるし、日本人のお陰で大変助かった」といってくれました。
我々の先輩方の貢献のお陰で、良い印象を得ているのは
とても大きな財産です。我々の世代は何を残しているでしょうか?
まだ貧しい国で、経済成長を優先してもおかしくないのに、
社会のことを考え実践する人々が多いことに驚きます。
それに引き換え、豊かなわが国では、まだ経済成長のことばかり
語られているのが気になります。
しかも、本当に成長したいのなら、国内はもう限界が見えているのに
なぜ海外に真剣にでていかないのか。引きこもり国家なんだなと
改めて実感しました。
本土を出て、アジアを目指そう!
我々が伝えられるものを持っているうちに・・・。
Ps;本日はとってもいいことが会った日!!記念日だー。
死ぬ瞬間も思い出すだろうなー。ありがとう!!

クーピー in ベトナム

先月ベトナムで福祉施設を訪問した。
クーピーの活動をベトナムでも広げるためです。
2008051615440220080516154402 posted by (C)ふぁーふぁ
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あちらは社会主義なので、先生たちも国家公務員。
若い先生方でした。妊婦さんの園長?さん。
通訳入れて大変でしたが、協力してやっていきたいとのこと。
今後が楽しみです。ベトナム戦争の枯葉剤の影響もあり
街には不自由な人が多数居ます。NPOという言葉もまだまだ
一般には知られていませんが、大義あるベトナムチームと
一緒に進めていきます。

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ベトナムと沖縄をつなぐもの

私はなぜベトナムに行ったのか?
観光がしたかったわけではない。
沖縄とのつながりがあったからである。
琉球王朝時代から貿易でつながりがあったようだが、米軍の存在が大きい。
下記の記事をご覧いただきたい。
企画・連載 : 沖縄 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 沖縄にとってベトナム戦争とは何であったのか。ひと言でいえば、戦争と占領の継続を生かされる沖縄を自覚化させられた、ということである。「キーストーン・オブ・ザ・パシフィック」としての沖縄は、ベトナム戦争の攻撃・補給基地であり、またベトナムへ向かうアメリカ兵とベトナムの戦場から一時帰休した兵たちの「慰安所」でもあることをまざまざと見せつけられたのである。
ベトナム戦争の全面的拡大を告げたアメリカ軍機の“北爆”が開始された1965年2月7日の翌日、在沖海兵隊航空ミサイル大隊が南ベトナムに派遣されたのをはじめ、5月には沖縄でゲリラ訓練を積んでいた南ベトナム政府軍が帰国したことや軍用船乗組員に対しベトナム行きが命令されたこと、そして7月には「台風避難」を理由にして嘉手納基地にやってきた「黒い殺し屋」と呼ばれたB52戦略爆撃機(68年2月から常駐化)が渡洋爆撃を行ったことなど、ベトナムと直結した沖縄の姿があった。沖縄の現実は、まさにアメリカ太平洋軍総司令官グランド・シャープ海軍大将が「沖縄の米軍基地がなければアメリカはベトナム戦争を戦えなかった」と明言したことを裏付けるものであった。

写真を転載すると厄介そうなのでしませんが、自分たちの上を爆撃機が
飛んでベトナムへと爆撃しにいくのである。このために反戦活動も行われた。
そのためもあって、ベトナム政府の要人が日本に来る際には
沖縄にも立ち寄ることが多い。
ということで、沖縄と密接に関わりがあるので紹介されていったのだ。
そして10年前から、ベトナムに人生をかけた沖縄人の宜野座さんが
現地の案内と通訳をしてくれた。
ベトナムに行ったなら、必ず行って欲しい場所がある。
戦争証跡博物館である。

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経済の人たち

ベトナムでシェラトンホテルの中華でご馳走になった。
平均月収2万円の国で、一人1万はするであろう食事。
このギャップが面白いといえば面白い。

32歳で14社のグループを率いる若き企業家。
携帯ビジネスから不動産、証券ビジネスと幅が広いのが
新興国の特徴だ。
ホーチミン証券取引所の社長も参加して、
これからのベトナム市場の話を聞いた。インサイダーは
当然のような感じ。我々と夕飯を供にした日の昼間は
東証の社長と会食だったと。

日本とベトナムの友好と発展を担当している。

皆さん日本語が上手。しかし、全体的には日本語を話せる人は少ない。

不屈の人

ベトナムではたくさんの方をご紹介いただいた。
その中で一番印象的な方がこの方。
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1区という都会から車で1時間ほど行き、そこからさらに
歩いていく。こんな風景。

やっとこさ到着して、飲んではいけない氷の入った飲み物を出される。
(氷はとても不衛生なので大体みんなお腹を壊す)
覚悟して飲もうとしたが、氷なしを紹介者がリクエストしてくれて
暖かいレモンティとなった。これも覚悟が必要だったと同伴者は
言っていたが、私だけ飲み干してしまった。
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彼女は解放軍で、アメリカ軍につかまり1年半捕まっていたと。
それで政府から表彰状をもらっている。すごい根性だ。
神秘的な人だった。
家を出ると、

子供が牛を放牧していた。

物質的には恵まれていないが、魂が力強かった。