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命の学校を終えて

命の学校が終わりました。2週間ごとにワクワクして通っていた講座も一区切り。大学院も含めて過去のどの授業よりも熱心に楽しく学べた学校でした。大体、話を聞いていると眠くなってしまうことが多い私としては、寝ずに3時間以上集中できていたことに自分でも驚きです。

最後の講義で、新しいことを学ぶことだけが勉強ではないことも気が付かされました。知識として知っていると、「ああそれ知っている」と思って、どこか流していました。でも、知るといっても本当に正確に概念を理解しているのか?また、腹落ちし、行動できるまで身についているかは別問題であるのに、わかったつもりになっている自分がいました。

継続的に努力してこそ身につくことをついつい忘れて、新しいことに飛びつきがちです。良いと思ったことを愚直に実行することは簡単だからこそ難しいことです。

新しい知見ももちろんありました。毎回ゲストの方のお話は、自分では絶対に話を聞くことを選択しないであろう方々が多く、自分の範囲外へと連れ出してもらえるいい機会でした。医療などは自分とは関係ないと思っていましたが、聞いてみると、愛や自尊心の実践を一番必要とされている業界かもしれません。

何しろ、怪我や病気をしている人たちにとっては、明日があるかどうかはわからない切実な問題であるからこそ、普段では見過ごされている問題に直面しやすいわけです。限りある命をどう使うかをサポートするのではなく、システムに問題がないようにサポートするのでは対応が全く違ってきます。施設にとって問題がないようにすることと、患者の幸せが両立していないのが現状でしょう。これは医療関係だけではなく、普通の会社にしてもそうです。会社のルールに合わせようとするのが普通とされていますよね。

今回の講座で話されていた方達は、今のシステム中心の世界観から、人間中心の世界観への転換へと実践している方々の話でした。現在は、システムに人間を合わせようとするからこそ、人間がおかしくなるのですね。今後の希望の光を感じた学校でした。

システムというと、映画マトリクスの世界観を彷彿とさせます。システムのエージェントになっているMrスミスのような方々が、今は評価されている時代です。二宮尊徳のように、人間性で評価されるリーダーが中心の時代にならない限り、システムは栄えても、人間はいつまでたっても幸福にはならないのでしょうね。

ありがとうの反対は当たり前。今や、お金を払えばやってもらって当たり前だと感じている私たちがいるように思います。やってもらって当然なことは何もありません。当たり前に慣れることなく、日々過ごせたら幸せなことだと思います。

より良い人間関係こそが幸福への道。命の学校は幸福の学校でもありました。次回は、お金の学校になるそうです。次もきっと知的な刺激に満ちた時間になることでしょう!

幸せのカタチ

かつて、若くてお金もあり、時間もあった頃は、幸せとか生きがいって何だろう?と悩んでいた。愛宕ヒルズの最上階にあったプールでひたすら読書していた。どんな本を読んでも、知識欲は満たされても心が満たされない感じ。

昼間からプールでゴロゴロしている若い人は誰もいなかったし、ほとんど貸切状態だったけど、三木谷さんがサウナでゴルゴ十三を読んでいたのを思い出した。読んだ本をすぐ捨てたりしてるのをみて、セレブだなぁと貧乏くさい私は感じた。

サウナとお風呂があり、そのお風呂でぼーっとしていたら、

「いい天気だねぇ」と話しかけられ、そこから関係が始まった高間氏は、沖縄において共にひどい目にあった仲だ。引き込んでしまい申し訳ないと思っている。

愛宕時代は、何一つ不自由はなく、部屋からエレベーターですぐプールやお風呂にも行けて、レストランもあったし、ルームサービスも取れた。出前も山ほどあるし、車に乗ってもどこへ行くにもすぐ行けたけど、幸せだなぁと思ったことはあまりなかった。

自分は恵まれているなぁとは思ったけど、そうした生活が当たり前になると便利だから幸せになるわけではないのがよくわかった。逮捕された後は、ヒルズに住めなくなった。逮捕だけで無実の場合もあるのにそれは関係ないようだ。騒がせたらアウトなんだろう。ま、もう未練はないけど。

ところが、最近ふとした日常で、幸せだなぁと思うようになったのだ。普通のことが嬉しいと感じるようになって自分でも驚き。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものである。

例えば、こんな僻地まで、5歳と9ヶ月の子供を連れて、東京から泊まりに来てくれた友達たちとご飯を食べていた時とか、子供の可愛らしい質問とかに答えてる時など、ふとした瞬間で幸せを感じたのが嬉しかった。

若い頃にたくさん経験して、日常に感謝できるようになったことはとてもラッキーだったと思う。人は失敗したら優しくなれるし、辛い気持ちもわかった方が人格向上的にはいいことだと思う。だからいつも、その時に感じることは二度とはないのだから、失敗を恐れずに思い切りやればいいと思う。

自分もいっぱい失敗もしたけど、結果良かったと今も思える。過去の自分にいくら、

「当たり前が本当は当たり前じゃないんだよ」とか「感謝しろよ」と伝えても絶対にピンときてないだろう。私みたいなバカは体験しないとわからないのだ。

東京タワー、富士山、レインボーブリッジがよく見えていい部屋だったな。あれはあれで楽しかったと今では良い思い出になった。自然の眺めも負けてないと思う今日この頃。どちらにもいいところはあるからね。過去の自分に言うことがあるとしたら、どうせお金はとられてしまうのだから、ケチケチせず使ってしまえと言いたいね。

さて親子共々優しい家族だった。癒される。治療家は優しい人がなるものですね。そんな彼に会いたい人は、手技道まで是非どうぞ!心と身体の治療院です。

 

ヘリコプターに乗りゴルフ場に行った話

プロローグ

今日お客さんと話していて、振り返って見たら自分は恵まれていたなぁと思ったので、そんな思い出話もちょこちょこ書いてみようかなと思います。

そういう恵まれた体験をしたからこそ、思うこともあり、過去の自分に伝えたい教訓も含めて、私も書いてみます。

何を書こうかなと思って、昔の写真を見ていたら、ヘリコプターの写真が出てきたので、このエピソードでも。

あらすじ

ことの始めは、某女優さんからのお誘い話からでした。詳しくは書けませんが、結果として、有名企業の社長さん(この方はMMさんとします)が操縦するヘリコプターに乗って一泊旅行に行きました。そのヘリで、これまた有名企業の社長さん(この方はTSさんとします)が持っているゴルフ場まで行きました。

機内の様子

ゴルフ場

そこでは、広いゴルフ場をわずか、5人で貸切でした。

だーれもいない食堂でご飯を食べ、

だーれもいない広い場所でカラオケをし、

だーれもいないゴルフ場(写真の場所)に光と音のショーをしてるのを堪能して一泊しました。

私以外は、60代の有名社長さん2名、女性2名で気まずかったなぁ。某女優さんの裏話はなかなか興味深かったです。私にもっとギラギラした欲があれば、あの社長さん二人にプレゼンしたんでしょうね。

お礼に健康酒みたいなのを送っただけで、後からコンタクトをすることもなかったです。お金があったらやることはスケール大きくなるなぁと感心しましたが、一度体験したから満足しちゃいました。

反省と過去の自分に言いたいこと

当時は、ロールスロイスも、マクラーレンもSLRも友達が持っていたから、自分が持っていなくてもよく乗せてもらって、ゴルフや六本木に行ってましたね。贅沢病にもなるわけです。感謝を忘れてしまいますね。相手の好意を当たり前としてはいけません。

きっと、乗せてくれた社長さんたちも、私があまり感情を表に出すタイプではないので、きっと物足りなく、こいつはつまらん奴だと思ったことでしょう。愛想良くしましょうw

やはり人間素直が一番です。すごーいと思ったら、そう言いましょう!と、まぁここまでは半分冗談です。で、教訓ですが、当時は自分の初体験だけに興味があって、一緒に行った方や、お相手の方への関心や愛がなかったと思います。

著名人やお金持ちは、あらゆる相手から関心を引こうとされているだろうから、自分はあえてそういうことをしない美学みたいなものを当時は持っていましたが、

「相手を利用しようとすることと、相手を尊重することは違うことに気がついて!」と言いたい。

目の前の人を大事にしましょう。貴重な時間を共有しているのだから。

四十九日法要

去年から近しい人の死が続いておりました。母と仲の良かった叔母と、そして母の忌明けとなりました。いつも気を使ってばかりの母は、自分のことよりも人のことを心配してばかりの人生だったように感じます。祖母と同じく、いつも大袈裟に心配したり話したりしていて、家族の中ではオーバー会の二代目会長と呼ばれていました。
皆様もご存知の通り、私は心配をかけてばかりいましたので、死期を早めてしまったのかもしれません。
「親には心配かけるほうが、おちおち死んではいられないと長生きできるんじゃないの」と、私は母に言っては
「もうたくさんよ」と呆れられていました。
心配性でありもしない心配をしては、笑いの種にもなっていました。表現はどうあれ、相手のことを想う気持ちは本物でした。母の子供でよかったなと思うことが多々あり、今の私を形成してくれた大切な人でした。しつこく、うっとうしいくらい、言い続けてくれたお陰で、今も母の言葉が聞こえてきます。
もう心配しなくてよくなったから、あの世で楽しみながら見守ってくれたらと願います。これまで控えていた発信も徐々に再開したいと思います。心配をかけてばかりいた事実をもとにしたフィクションでも書いてみようかと思っています。
仏となった母に見守られながら、思い切り生を生きて、またあの世で、死んでからも心配していた話を聞きたいものです。
一緒に大笑いしたことを思い出します。楽しく、愛にあふれた人でした。母を少しでも見習って、人への想いを大切にしたいと思います。今後とも迷惑をおかけするかもしれませんが、いつも心配してくれてありがとうございます。
 

祝你生日快楽

万葉集を読んだことがある人は少ないでしょう。山部赤人が読んだ歌で、
「我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手兒名が奥津城ところ」という歌があると陶芸家の田中佐次郎氏にお聞きしました。勝鹿とは、葛飾のことです。ある悲劇の女性が葛飾のほうにいて、身投げした話が京都まで伝わり、その人を偲んでわざわざ訪れて歌をよむわけです。葛飾は当時、千葉、埼玉、東京にまたがる地域で、市川のほうにその舞台となった地があるそうです。
会ったこともない女性に対して、憐れみを感じ、現地にまで行ってしまうのです。そして誰かがその歌をまた知り、現代になっても、その地を訪問するわけです。何百年を経ても想いで人は動くっていいですね。いつか、この文章を見て、手児奈という悲劇の女性の墓に訪問する人も出るかもしれません。可哀想だなとか、愛しいなとか、憎たらしいなというような感情は時代を経ても伝わるのです。
時代を経たものといえば、陶芸もそうです。この日は、400年以上たった器で日本酒を注いで頂きました。何ともいえない気持ちになります。どんな歴史があったのか。私の人生の何倍もの時間を経て、多くの人のドラマを経てここに辿り着き、出会うのです。そして、持つべき人が持つのです。
井戸茶碗の良い器の見方は、口を見るとわかると教わり、とにかくまずはたくさんの物を見るんだと教わりました。どんな人でも最初の一歩があったのです。後日、友達の家で、友達の祖父が焼き物を集めるきっかけになった壺を拝見しました。その中に、その壷を入手する経緯について書かれていた手紙が入っていたので拝読させていただきました。そこには、最初の壷との出会い、そこから焼き物を集めてその中で感じたことが書かれていました。
奥が深い世界は素敵です。日本の文化をもっと知りたくなりました。わが子には、日本文化を伝えられる環境を残せたらと思います。

 

日常と非日常の狭間

一体普段は何をしているですか?とよく聞かれる。臨機応変に起こった出来事に対処するため、基本的には予定は未定で、大体前日か当日に予定が決まる事が多い。勿論、事前に決まる場合もあるのだが、それは予定変更もあるかもしれないという留保付きの予定だ。

最近は来客が多いので、沖縄を案内しながら、歴史や民族性、時代性について話すときもあれば、心の話しをしている時もある。案内するタイプによって、話しは変わってくる。ビジネス志向の人に、心の話しばかりしていたら、現実逃避している人かと思われてしまう。仕事が嫌で逃げてる人だと思われてしまったら、もうそこで壁が出来て話しは出来なくなるだろう。

自分たちは心だけをテーマにしている訳でも、ビジネスだけをテーマにしている訳でも、政治だけをテーマにしている訳ではない。すべてに関係してくる。経済の話しも出来るし、心の話しも、政治の話しも、宗教の話しも、サブカルチャーの話しも、量子力学の話しだってしている。

沖縄に来て、我々と会っている人たちはジャンルを問わない幅広さだ。経営者もいれば、アーティスト、医者、科学者、学生、投資家、ミュージシャン、ヒッピー(笑)、等など。もう老若男女を問わない。

勿論、沖縄の人とも会っている。これまた幅広い世界の人たちだ。ヤンバルから那覇まで、守備範囲も広い。愛楽園というハンセン氏病の施設を訪問したり、障がい者は勿論NPOクーピー活動で関わっている。先日も中部農林高校でクーピーイベントがあったが、そういう場で話される事と、六本木で人に会った時に話す内容は勿論違う。でも邦作りという意味では繋がっている。これは説明が難しいが、多様性があってこそ生態系は健全になるのだ。

大体の人は狭い世界で生きている。いわゆる業界内での交流しかないとか、主婦の友か、学校の友か、会社の仲間か、自分の世界と全然違う人間とは出会わないから交流できない。その世界の常識が出来て、それは他の世界からしたら非常識となる。他の世界を知れば知るほど、常識なんていかにいい加減が分かってくる。常識に生きていれば、安心安全だと感じるから、そこに執着をするが、それは必ず揺さぶられる。特に今の時代、常識が通用しなくなってきているのはどの世界でも同じだ。

日本人という大きなくくりでも、世界70億からしたら、その中の1億でしかない。自分たちの常識が世界の常識ではない。というより、日本は異質な文化だと思われている。世界の中では我々はクーピーのような存在なのだ。異質な世界を受け入れるのは難しい。難しいから価値がある。人間の器が問われるのだ。矛盾こそが人を成長させる。

気になった時に、人に連絡したり、当日に約束して会う事が多い。突然でもタイミングがあえば会えるものだ。人に限らず、気になった場所に行くと、何かしらの発見がある。考え事をしている時、よく海やウタキに行ったりする。するとイメージが湧いたりする。

ふとした時、車のナンバーや時計の数字などから信号を得て、連絡したりすることもある。そうすると、タイミングがピッタリだったりして、展開が早くなったりもある。菩薩はタイミングが命だ(笑)タイミングは、いつも良いとは限らない。もっと早ければ良かったのにと言われる事もある。

しかし、長い目で見たときに、だからこそ逆に良かったのだとも言える。魂の試練は楽ではない。菩薩は、情をかけすぎてもいけない。相手の為に厳しい目が必要なときもある。可哀想だからと優しくしすぎてはお互いに落ちていくのだ。見捨てる訳ではない。いざという時は背負う覚悟を忘れてしまえば、詐欺師となる。

結果だけを求めているのであれば、もっと上手なやり方があるのはわかっている。だが、それでは菩薩道ではない。最終的に救われる道へと繋がる事が大事であって、目先の幸せやお金などに惑わされていては菩薩行は出来ない。

人助けをするには、心だけでは救えない。経済的な事も必ず関わってくる。起業家ではあったのでビジネスの事も分かるけど、興味がないので興味がある他の人にどんどん振っている。チャンスを作り、キッカケを作る。

沖縄で救われたと喜ばれて、寄付したいとか会社任せたいとか色々な人がいる。だからといって、別に宗教しているわけでもない。似てるけど違う。宗教という概念を当てはめたら理解しやすいけど、そうすると本質を見失う。分かりづらいから価値がある。

そうといえばそうだけど、違うと言えば違うという雰囲気だ。これが作れるか?意図して作れる人間がいたら、それは如来だ。人間世界の縮図は、愛憎が表裏一体のように、両方あって矛盾があるところにあるのだ。

日常と非日常の狭間にいつも自分は生きている。

九死に一生

九死に一生を得た。ひょっとしたら、前回の記事が最後の記事になるところだった。人生何が起こるかわからない。死ぬときはあっけないほど簡単に死んでしまう。何の予感もなく。

生れて育つには、時間と労力、資源がいる。死ぬのに時間も労力も資源もいらない。作るのは大変だが、壊すのは簡単だ。
死を目前に感じた時、とてつもない恐怖を感じ、心に葛藤が起きた。死は眠りと同じだと頭で理解したことなんて吹き飛んでしまう。ただ天の助けにすがりたくなる。少しだけ死が先延ばしになり、助かるかもと感じたら、途端に自分中心のエゴの考えが浮かんでくる。
自分との闘い。追い込まれて心の強さが試される。自分は弱い人間だ。焦りや動揺を表面的には隠せたとしても、心はすべて知っている。自分自身の弱さと向き合い見えたことがある。一人だけでは超えられない困難もある。
助かった今だからこそ言えるが、貴重な体験をした。いざというとき、人間にできることは少ないが、それでも出来ることはある。必死に生きた分だけ天はその想いに応えるのだと感じた。
生きているだけで感謝だ。これからはおまけの人生。死んでいたらなかった人生。であるならば、些末なことに思い煩うことなく、思い切り生きるのみ。
死んでしまえばすべて無だ。だからこそ生きているうちに思い切りやるのだ。
先日アメリカで、乱射事件で九死に一生を得た後に、再度乱射事件に会って亡くなった方がいるというニュースを見た。一度助かったからと言って、次も助かるとは限らない。
本当に人生は何が起こるかわからない。
奇跡としかいいようがない体験をし、計り知れない見えない働きを感じた。
感謝とともに精一杯生きるのみである。厳しい自然を身近に感じる環境にいる人は、そうした活かされているという感覚を肌で感じているのだろう。
今回の経験では大きな愛に守られて、
思い切り生きるように!
決まっていることなど何もない!
無駄なことは何一つない!
本当に大事なことは何か?
真剣か?

と、問いかけられ、励まされたように感じた。

人生一度きり。死んでしまえば残らないようなものに一喜一憂するのではなく、本当に大事なことに注力する人生でありたいと改めて原点を再確認させられた。
そして、危機の時にこそ頼りになる仲間、体験を共有共感できる仲間の価値も、再度認識し、沖縄に出会ってからやってきたことが何一つ無駄ではなかったと誇りを持って言える。人生の幸せは自分の周囲の人間によって影響される。その環境を選び、作るのもまた自分なのだ。
波瀾万丈の人生を自分は求めているから、こうした体験ができるのだろう。天の演出には驚かされるばかりだ。映画のような体験を求めている人にはおススメの環境だ(笑)あー生きてて良かった!!!

原点想起

ある時、ひたすら自分を見つめていた時があった。答えの無い自分を見つめる作業はとても辛くて逃げ出したくてたまらなかった。それでも必死に内省を続けていると、感謝が足りなかった自分が見えて来た。今まで周りの人のお陰でここまで来れた事を当たり前と捉えている自分がいた。感謝が出来たからといって、そこで終わりではない。

それでも内省を続けていると、今度はすぐに飽きてしまう自分に気がついた。事業がわかりやすいが、軌道に乗ってきて、さーこれからという時になると、途端に興味を無くしてしまうのだ。ある程度で満足してしまう癖。トコトンを追求できなかった自分がいた。半端な自分。

追いつめられていると力を発揮するが、追いつめられていないと途端に怠けてしまう。他にも、嫌な事から逃げて来た自分もいた。楽な方へと逃げて、そうした自分に合う言葉ばかり、心に入れて、「しょうがない」「そんなものだ」「その方が良いんだ」と逃げて来た。

そんな自分を卒業しようと、目の前の事から逃げずに向かって来た。向かう喜びも覚え、仲間も出来て軌道にのって来た。そんな今だからこそ、原点を思い出す時なんだと信号を受けた。

新しい展開も見えて、本来なら更に飛躍する時だ。かつての自分はそんな時に一歩引いてしまう癖があった。最近、沖縄に関わり始めた時と同じような事をしていた。御嶽を巡り、なぜ沖縄に関わったかと改めて考えた。

最初の動機は目の前の人間を助けたいだった。沖縄の為に必死になっている人間を支援したい気持ちから始まり、応援していくうちに、それが自分の為でもあることに気がついた。弱者救済をしたいと思っていた気持ちと沖縄の現状が繋がり、自分の人生のテーマとなっていった。

御嶽巡りをしていたとき、とても珍しいセミの脱皮に出会った。
「生まれ変わった信号なのかもしれないな」と実感もないままに考えた。これからはまた違うモチベーションで仕事を行っていくことになると感じている。

なぜか最近は昔の友人知人と偶然あったり連絡が来たりしている。これまで沖縄で磨いて来た成果を伝えるべき時期に来たのかもしれない。

人生のテーマを見つけてる人は幸せだ。大半はそれがわからずに右往左往している。しかし、テーマがわかっている人でもそこから逃げてしまう人もいる。やらないことで損はないはずなのに、なぜか躊躇してしまう。その気持ちはよくわかる。

結果がわかるのが怖かったり、今までの自分に執着があったり、吹っ切れない理由は自分では気がつきにくい。なんかモヤモヤして、映画や浮き世ごとに逃げていた自分を思い出す。

若さも金も時間もあって、人からは羨ましいと言われる状態であった時こそ、
「なんか面白い事ないかな」が口癖だった。

生まれ変わったのかどうかはまだわからない。それは行動して証明していくしかない。チャンスの時こそピンチでもある。このチャンスを活かす為に、原点を見つめて、その時の気持ちを胸に向かっていく。

行動して初めて、生まれ変わった実感が湧くのだ。体感するまではわからない。新たな自分を体験するのが楽しみでもある。かつて内省していたときには答えが見つからなかった。これからの挑戦で見えてくるのではないかと感じている。

新たな光

今日は沖縄が日本になって40年の日だ。節目の日に興味深いニュースがあったので、それを信号と捉えて書いてみたい。ジョニーデップとかつて創業した会社と沖縄についてだ。
ジョニーデップとティムバートン監督が映画の宣伝のために来日したというニュースを見た。彼らが最初に組んだ映画が、「シザーハンズ」だ。あの映画から、俳優としての活躍が始まった。彼は元々俳優業に興味があったわけではなく、当時妻だった女性の元彼がニコラス=ケイジで、彼から勧められて俳優としてのキッカケを得た。元々はというか、今もだが音楽活動をしていて、それなりには成功していたのだ。
そんな姿はあまり知られていない。以前、トムクルーズでも似たような話を書いたが、覚えているだろうか?(いい人が飛躍できない理由)ちなみにシザーハンズは最初トムクルーズが出演する予定だった。運命は面白いものだ。自分が飛躍するキッカケは自分だけでは作れないものだ。それがわからずに、自分だけの力で成し遂げようとする人が多い。ご縁を大事にすることは、原点を大事にすることで、それは自分を大事にすることと同じことなのだ。
シザーハンズは自分にとっても思い出深い作品だ。菩薩としての生き方を教わった。主人公のエドワードと同じように、警察に関係したことも、今となっては予言だったのかと感じるくらいだ。改めて見てみると、自分の人生に起こったことと、とても似ていて他人事とは思えない。
参考までに過去に書いたシザーハンズ関連の記事をまとめておく。
菩薩シザーハンズ  http://ozeki.fa-fa.com/?eid=1308005
さて、いつも原点が大事だと話しているが、私の一つの原点である創業した会社が転機を迎えたと知った。創業メンバーだった方から連絡をいただいて知ったのだが、原点を大事にしてくれている人の存在は有り難い。自分が決めたサイバーエージェントへの売却という形から、また新たな道を選ぶ選択をしたというニュースだった。
当時を思い起こすと、会社の株を買いたいという話は4つほどあった。値段や条件でいえば、他にいい選択もあったのだが、短期的ではなく、長期的に今後も誰にとっても良いプロセスになると思ってサイバーへ売却という決断をした。何が本当に良かったかは、歴史が証明するのだろうが、現時点でも新たな道を選ぶことが出来たというだけで、よかったのではないかと感じている。
違う会社に売却していたら、会社自体がなくなっていた可能性が高いと思う。関わった人間たちにとっては、なくなるよりは元気でいてくれるだけで嬉しいことだ。実際に頑張って来られた関係者の努力の賜物だ。敬意を表したい。
ジョニーデップにとっての音楽と、私にとってのIT企業は似ていると感じている。私は沖縄で菩薩業に出会った。ジョニーが俳優業に出会ったように。沖縄に関わってから今までの数年で、シザーハンズを体験したのだ。代表作ができたようなものだ。
シザーハンズからジョニーデップが始まったように、私もこれからが菩薩としての始まりである。私にとってのティムバートン監督は、如来なのだ。沖縄で出会った人だ。
私が創業した会社は、名前を変えてvoyage groupとなっている。創業時はaxiv.comという名前だった。設立日は1999年10月8日。なぜこの日にしたかは、学生時代にお世話になっていた人の誕生日と元彼女の誕生日で忘れないと思ったからだった。もう一つ理由があるが、それは秘密にしておこう。
そして、後で知ったのだが、jobwebの創業日も同じ日だった。そして、その社長である佐藤氏の誕生日が、沖縄復帰の日なのだ。それが今日である。
40年目という節目の日に、自分にとっても節目となるニュースを聞いて、沖縄の将来をも重ねあわせたくなった。いつかはわからないが、近い将来沖縄は独自の道を歩むことになる。いま放送中のアニメ、エウレカセブンAOでは中途半端な独立状態の沖縄が今後どうなるのか楽しみなところだ。この時期にこのアニメが放映されていることも信号ではないだろうか。
台湾からの沖縄行きが、琉球行きと表示されているように、知らぬところ、気づかぬところで琉球という存在は増しているのだ。新たな歴史の始まりを感じる。
いずれにせよ、つきつめてみれば、問題の根源は、部分と全体の関係性の問題につながる。個人と社会。沖縄と日本。日本と世界。近代西洋が作り上げてきた世界の限界が見えてきたのだ。新たな道が光となる。その光は沖縄から始まると信じている。もちろん信じるだけではなく、新たな道のひな形を作っている。歴史の創造に参加したい方は沖縄に来られることをお勧めする。ビットバレーの時の渋谷のような場所が、いまの沖縄なのだから。

深い愛の贈りモノ

6年ほど前の話だ。沖縄で初めてユタ(シャーマン)にあった。そのユタは、詳しくはかけないが、普通の人であればとても法的に住めないような場所に住んでいた。実際に、行政の人間などが、立ち退きさせようと働きかけても、そのユタに、
「私は意味があってここにいるんだ。それよりお前の家はこうだろう、ああだろう」と言われて、みんなビックリして立ち去ってしまう。そこに住んでいるだけで実力を証明しているようなユタだ。
そんなユタに、その時言われたことはさっぱりと意味が分からなかった。一体何を言っているのか?意味不明であった。時々、もっともだと思わせることもいっていたが、大枠では、変な人だけど、何か気になる。そんな印象であった。
それから3年ほどたって、ようやくその人の言っていたことの意味がわかった!本物はすぐにはその価値がわからないのだ。本物のユタであればあるほど、すぐに答えを与えない。自分で悩み、深め、体験してわかるように導くのだ。お金儲けのユタは、すぐに答えを与える。それも、わかりやすく、理解しやすく、相手が望んでいる答えを。だからそちらのほうが評価を得やすい。そして本物は、意味が分からないと誤解をされる。
すぐには理解できないからこそ、価値がある。それがわからないのが現代だ。よりわかりやすく、簡単に、お手軽にがはびこっている。だからこそ、本物の感動が得られない。漫画の感動は一瞬だ。実体験にはかなわない。
そのユタには、意味がわからないながらも印象に残る言葉を言われていた。その一つに、
「お前の眼はシシガミの目だ」と。右眼か左眼か忘れたけど、どちらかの眼に、シシガミの目が宿っていると。これで意味がわかる人いるだろうか?今となっては意味がわかったが、それはまた別の機会に。
のちにその話から、「シシガミの目」と名付けた施設ができた。この施設も、沖縄にいた仲間が、私を喜ばせようとして、真夏の暑いときに、熱射病でフラフラになりながらも作ってくれたモノだ。炎天下の中、1万16個もの琉球石灰岩を手積みで組んだ巨大構造物。
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20080731150655 posted by (C)Oz
生れてはじめて、そんなに巨大なサプライズをしてもらった。お金に換えられない愛をかけてこられたからこそ、私は沖縄に対して感謝の念を忘れない。1万16個という数も、偶然に自分の誕生日の数とシンクロしたのだ。後から気が付いたことだった。
今年の誕生日の本当のサプライズは、写真を見て気付いた人もいるかもしれない。

プールを最後まで完成をさせていないということが、一番のサプライズだ。
普通であれば、完成させてその姿を見せるだろう。それも大事だ。でもいつもそれがいいとは限らない。人に応じた対応が愛なのだ。今回の場合でいえば、
「尾関さんは、自分たちと一緒になってプールを完成させたいはずだ。完成形を見せられるよりも嬉しいと喜んでくれるに違いない」と信じてくれたということなのだ。あえて、
「えっ?と思われるかもしれないけど、きっとそのほうが後々いい」と信じた行動だ。
普通であれば、
「彼は肉体作業は苦手なほうなので、嫌がるのではないか?」と気を使ってやらないだろう。あえて、きっと彼はわかってくれるに違いないと信じて、途中で待つ勇気。想い、それが伝わる相手でなければ、引かれるかもしれないという恐れ。
そうした気持ちを全部踏まえた上での行為なのだ。私も最初はまず、あるはずのないものがあることに度肝を抜かれた。落ち着いてくると、それが作りかけ途中ということに気が付き、みなの想いが想像出来て、にやけてしまう。
「もー嫌だけど、嬉しいな」と。表裏一体だ。表面では大変そうだし、面倒だなという昔からの怠け者の自分もいる一方で、みなの想いで、あえてやる大変さも、ここまで仕上げる大変さも考えたら、おいしいところを残してくれている愛に感動する。
一人一人の葛藤と勇気、信念がなければこのプールは生れていない。
これが愛だし、本当の豊かさなのだ。
その後、一緒に作って、想像を超える大変さを実感した。さらにここまで作ってくれたことへの感謝が深まった。太陽や雨や風に襲われ、ビニールシートをそのたびにとったり、かぶせたり、水をくみだしたり、もうそれは体験しないとわからない価値。また一ついい思い出ができた。皆にとっても、これを作る過程で、ブレークスルーが起きて、本当に心が楽になった人間もいたり、一石三鳥以上の効果をあげたプールである。そして、これからもこれを見ることで、本当の豊かさを感じる人々がうまれることで、更にその価値を発揮し続ける。ただのプールではなく、アート作品なのだ。